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  • from: クマドンさん

    2017年12月24日 07時54分23秒

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    自然のはたらきを現す

    本当にどうにもならない二日酔いだった。
    あまりにもむかむかするので、吐くことにした。
    何もでなかった。
    涙と鼻水だけだった。

    さてさて、それでも出かけるのは、業なのだろうか。
    私はバスに乗って、本町に向かった。
    「あき乃」で小千谷蕎麦を食べるためだ。
    ここのご主人もお母さんもとてもとてもよくしてくれる。
    私が店に入ると、「クマさん、いらっしゃい」と、
    名前をよんで出迎えてくれる。
    それから、「お元気そうね」と、私の顔を見てそう言ってくれる。

    N大病院から退院して、直ぐにこの店に来て、蕎麦をいただいた。
    すっかり痩せて、見る影もない身体に、
    お母さんは、絶句していた。
    生き死にの境を越えて、病院のベッドでは、
    この店の蕎麦を食べるために、もう一度生還することを心に誓っていた。
    そんなお店だ。

    蕎麦とジャズと天ぷらと蕎麦焼酎がある。
    付け出しには、美味しいわかめと豆腐だった。
    真心がいつもいつも温かい。
    私は、あったかな蕎麦焼酎を飲み、蕎麦を味わう。
    ついさっき吐いて来た私がである。
    音楽は、ビリー・ホリディーだった。
    この深い生きることの哀しさと、しみじみとした味わいとが、
    心地好く、ただじっとその空間と時間とに浸り込む。

    それから、りゅうとぴあに向かった。
    途中の交差点で、白状の初老の男性。
    レジ袋に食品をいれて、立ち往生していた。
    「何かお手伝いすることはありませんか」と、声をかける。
    ばっと、その人の表情が明るくなった。
    「家まで、お願いできますか」とのこと。
    私は、左ひじにその人の右手を置いて、ゆっくりと歩き始めた。
    「時計屋さんがありますよ」
    「そのお店の角を左に曲がってください」
    「水たまりですよ」
    「空き地があるので、その前のアパートが私の家です」
    「着きましたよ。一階ですか」
    「階段の脇の部屋です」
    「大丈夫ですか」
    「ありがとうございます。私はIと言います」
    「それでは」と、私は別れた。
    ほんの少しの道行だったが、分かれた余韻が深かった。

    あの人は、あの部屋でたった独りで生きている。
    ビリー・ホリディーだなぁ。
    それから、急いだ、急いだ。
    コンサートの開演にぎりぎりの時刻だった。
    1ベルが鳴っている中、会場に入った。
    間にあった。

    キエフ国立フィルハーモニー交響楽団。
    ドボルザーク交響曲第9番「新世界より」
    ベートーベン交響曲第9番「合唱付き」

    心地好い酔いの中での音楽は、至福の時だった。
    私は、涙を信じている。
    不思議なことだが、私が涙を流す時、私の私が感動している時だった。
    まさに、感じて、動く。
    それは、意識でも意図でもなかった。
    私の私が、感ずるまま、感応し、ただ、涙が溢れる。
    ドボルザークが歌い出すと、ただ、静かに涙が流れた。

    ソリストが一流だった。
    オーボエの何と美しいことか。
    ホルンの何と気高く気品のあることか。
    その響きそのものに酔いしれていく私の私。
    その私の私は、感動する私であった。
    そんな私が、私の中に生きている。
    音楽を聴くとは、その涙によって現れる私の私と出会うことでもあった。

    その涙を信ずるとは、その私の私を信ずること。
    ここに、確かに私の私は生存している。息づいている。

    さてさて、合唱だ。
    どれだけこの曲を聴いたことだろう。
    しかし、4楽章になって、やっと涙が現れた。
    そんな時もあるし、そうした音もあるのだった。
    そして、合唱団の登場だった。
    若い男女の合唱だ。みんなハレの顔をして輝いていた。
    私は、合唱団を見下ろす2階の席に居た。

    ソリストたちも素晴らしい。
    合唱が始まると、全ての音が一つとなる。
    合唱の人、100人。オーケストラの人70人としても、
    それぞれの人たちがそこには個としては存在していなかった。
    大きなうねりと共にぐいぐいと立ち上がって来るのは、
    ベートーベンを通してこの世に現れた音楽そのもの。

    その音楽に、全ては溶けこみ、全ては一つとして昇華する。
    彼女にも彼にも家族が在り、それぞれの想いがあり、夢もある。
    哀しいことも辛いことも、どうにもならない試練の中に居るのかもしれない。
    それは、それだ。
    この神の視点とでもいうような、俯瞰した位置から見下ろすと、
    全ての人たちの歌声もオーケストラの響きも、
    一つの大いなる魂となり、力強く存在して、聴く者の魂に轟きを与える。

    調和とハーモニー。
    その響きに私の中の私は感動し、
    私の中の私たちが歌い。私の中の私たちが奏でている。
    それは、全てを一つにする調和であり、存在そのものである。
    この現われを表現するために、ベートーベンは魂を燃やした。

    この偉大な交響曲は、在った。
    それを、ベートーベンは、音にした。譜面に現した。
    それを、現実の音にする。音楽にする。魂の響きとする。
    その瞬間には、個は居ない。
    みんなこの響きの中で消えていく、昇華する。
    私の中の私だけが、偉大な響きで立ち上がる。
    現れる。

    何だろうね。
    そこで生きられたら、幸せなんだな。

    自然とは、その調和のはたらく姿なんだ。
    そのはたらきがはたらきとして現れる時、
    それは、きっと真の現れ・表現となるのだろうと、私は想う。
    その現れのためには、
    そのはたらきを感ずる感性と魂とが必要なんだ。
    人が、人であるということは、
    そのはたらきを感じて、魂の響きとして表現することではないかと、
    ベートーベンに何だか心から感謝して、拍手している私と出会えた。

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