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  • from: クマドンさん

    2018年01月18日 06時24分50秒

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    深く味わう

    さてさて、連日の雪道のために、出勤時刻を早くした。
    そのために、この「親父たちよ」を書けなかった。
    こうして、書かなくなっていても、
    それは、それで、いいかなぁとも、想えるようになった。
    書きたい時に、書けばいいんだ。

    昨日、高森のお年寄りたちが30名も集まってくれた。
    「高森の丘検定」の発表会だった。
    その時感じたことは、お年寄りたちの「人生の深さ」だった。
    「深いなぁ」と、80年70年人を生きて来た人たちは、
    やっぱりそれなりに「深い」と感じた。

    だから、その人たちの、想いを知りたいとも想った。
    どんな苦労があったのだろうか。
    どんな哀しみがあったのだろうか。
    子育てにどれだけ奮闘してきたのだうか。
    みんな一人一人がきっと語るべき「深い物語」をもっている。

    それが、私には、とても興味が在り、
    ぜひとも聴きたい物語となっている。
    だから、歳をとっている。長く生きている。
    そのことだけでも、充分に敬意を感ずるものなんだ。

    その敬意を、今の子どもたちも若者たちも失っている気がする。
    「歳をとらないと、わからないんだな」という、
    何とも「深い自覚」と「深い喜び」は、
    この年代まで生き延びて来た人たちだけに与えられるご褒美だ。

    「生きてみないとわからなかったね」と、
    しみじみ語ったあの90歳の老料理家の女性。
    「そうですね。生きてみないとね」とは、
    一緒に海を眺めていた90歳のハンセン氏病の女性。
    その光景と言葉とは、
    今、ここにも、私の深くから蘇って来る。

    ある時、私も、生きることを止めようと想ったことがある。
    それは、確かに、どん底だったと想う。
    どうにもならない私は、どうにもならないことに気付き、
    この人生そのものから、逃げ出そうと想った。
    逃げれば、ここから居なくなれば、消えてしまったら、
    きっとどんなに楽なんだろうなぁと、
    その逃げ道ばかりを考えていた。

    でも、逃げなくてよかった。
    その場だけで決断しなくてよかった。
    今、こうして、生きているのは、
    時間と自然とに私自身をお願いしますと委ねられたからだ。

    「何とかなる」そんな気楽になるまでは、
    確かに長い年月がかかった。
    でも、こうしてどん底を味わい尽くした私でも、
    振り返って見たら、何とかなった。

    70歳・80歳・90歳の人たちは、そのことを知っている。
    自らの経験を通して感じていることは、
    そういう何というか、「何とかなるさ」なのではないだろうか。
    だから、「くよくよするな」「大丈夫。大丈夫」なんであり、
    「いいてば。いいてば」「心配するな」であるのだと想った。

    苦しみや、悩みや、痛みや、絶望に立たされている若者を、
    本当の意味で慰め、労り、親身になって傍らに立てる人とは、
    この人たちではないかと、
    私は、改めて、昨日は感じた。

    「味わう」が、今、ここでの私の生き方だ。
    だから、今、ここを「味わう」ようにしている。
    考えるのは、ずっとずっと後でいい。
    「味わう」ことで、感じたことをそのままにする。
    すると、その感じが何だか沁み込み味わい深くなっていく。
    その時なんだな。
    やっと「ことば」が顕れるのは。

    ことばは、きっと私の身体に在るものだった。
    そして、じっと私の熟するのを待っているものでもあったはず。
    だから、私がやっとその「味」に気付いた時、
    その「味わい」に感動した時、
    その感じを顕わにしようとする時、その「ことば」と出会う。

    池田さんの言葉を読みながら、今朝、はっと想ったことがある。
    私たちの日々の体験とは、日々の生きるとは、
    全く新たな、今までどこでも体験したことのない、
    「未知」なるものなんだということだった。

    自然とは、同じものは一つもないということだ。
    自然とは、いつも常に変化し続けるということ。
    だから、本来は、よくよく考えたら、
    人は、絶対に同じではなく、同じことを繰り返していないということだ。
    つまり、こうして今日を生きるということは、
    全く未知な今日、今を、刻々と生きているということなんだな。

    そして、はっと気付いた。
    「未知」という漢字を分解して、組み立て直すと、
    何と「味」という漢字になるではないか、ということに。

    そうなんだ。
    日々、私は、未知なるものを体験し続けているんだ。
    その変化を、その一期一会を、その今、瞬間を、
    味わうことで、「深く、腑に落ちる」と、池田さんが教えてくれた。
    そして、その未知なる体験を深く味わうからこそ、
    そのことが経験として、私の人生を生きるということだった。

    そうやって、深く人生を味わって生きて来た人が、
    あの高森のお年寄りたちだった。
    だから、そこにいらっしゃるだけで、
    あれだけの存在感と在り難さとを私が感じたんだな。

    だから、言いたい。
    「私は、駄目だ」「もう生きることが苦しいよ」と言う若者。
    本当の人生の妙味は、美味い味わいは、
    そんなところにはないよ、ということだ。
    とにかくどうでもいいから、生き延びること。
    きっとその内にわかる日が来るはずだ。

    そしたら、きっと腑に落ちるはず。
    「ああ、生きてみないと、わからなかった」と。
    その「わかる」「悟る」よろこびこそ、
    人生を生きることの醍醐味であり、意味ではないだろうか。

    確かに今は、苦しみという味しかないかも知れない。
    それは、私も、あの人たちもきっとそうだった。
    でも、今となって見たら、それがあったから、この味が在る。
    きっとそう想える日が必ずやって来る。

    そのことを「そうなんだ」と、はっきり言えるのが、
    歳を賢く、味わい深くとった人たちだけが、言えることだ。
    そうしたお年寄りに、私も、あなたも、なりたいものだね。

    健闘を祈る。

    大丈夫。大丈夫。

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