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from: クマドンさん
2018/01/29 06:09:43
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西澤真耶さんの
ノイズム2の二日間だった。
西澤真耶さん。
私のこのパソコンにはいつもその顔がある。
昨年の夏だったか。
県政会館での公演で、魅了された。
私が舞踏を観ている。
その身体の動きに、しなやかさに、のびやかさに感動している。
それは、私自身の驚きでもあった。
感動は、私を超えている。
まず、身体が応える。
わけもなく何だか深くから泉のように涙が湧いてくる。
その時だ。
ああ、私が喜んでいるなぁと気付くのは。
その私は、ここにきっとある私だ。
しかし、日ごろの私は、その私ではなかったりする。
その私を忘れているわけでもなく、
ほっておくのでもなく、
意識の私は、この私だ。
ところが、その私が顕れる瞬間がある。
それは、きっと同じ私の顕れを実感するからだ。
目の前で起こっていることが、
奇跡と呼べる瞬間瞬間である時、
私は、その深くで眠っていたはずの私にとってかわる。
入れ替わる。
いつの間にか、私は、その私で無垢のままの涙を流す。
忘我とでも言うのだろうか。
ただ、その瞬間が訪れるためには、
奇跡である人が、ここに居なければならない。
没我とは、一体であるということ。
一心であるということだ。
舞台とは、神が降り、神が役者に宿る場だ。
その身体の動きは、彼女が為す動きではなく、
彼女自身が、ある大いなるものに委ね、
そのままに意のままに動く、動きに他ならなかった。
舞踏とは、身体が気持ちよく、深く、味わいながら動くこと。
身体とは、私の中での自然であること。
その自然が、自然のままに、
あの樹々が冬の風に揺られるように、
あの草花が微かに震えているように、
あの鳥たちが寒さの中で蹲って震えているように、
そんな身体の動きそのものが、舞うということなのではないだろうか。
私は、みんなと一緒に身体を動かしながら、
とてもとても気持ちよい、爽快な時間を感じた。
動く。止まる。曲げる。打つ。倒れる。歩く。伸びる。蹲る。
そんな身体の動き一つ一つが、表情と成り、感情表現となっている。
身体の動きは、想いの動きだった。
その想いとは、舞うその人の想いではない。
そこにある大いなる不可思議なものの顕れとして想いだ。
その想いが、ここに顕れた。
その感動だ。その驚きだ。その不思議さだ。
西澤さんの身体の動きには、
その大いなるものの想いが溢れていた。
いや、きっと目には見えないその存在が、
この世に顕れるとは、こういうことなのではないだろうか。
涙が、とまらなくなってしまった。
本当のすごさとは、目には見えないその存在と繋がっていることの、
そのものであることのすごさなんだと、改めて感じた。
奇跡の前で、絶句する。
私は、帰り道ずっとずっと黙って歩きたくなった。
雪のやすらぎ提だった。
冷たい風に吹かれ、信濃川の滔々とした流れを見ていたら、
何だか、歩きながら、涙が流れた。
声を出して、泣きたくもあった。
ここで生きよう。
顕れであろう。
西澤真耶さん、ありがとうございました。
その奇跡は、今は、もう、どこにもありませんね。
やっぱり舞台には、神が降りました。
そのことを、この身体で感じられたことが、嬉しかったです。-
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