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  • from: クマドンさん

    2018年02月18日 09時19分19秒

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    不思議だなぁ。新潟アートキャンプ編

    身体を動かす。

    身体が感じる。

    身体で想う。

    その実践のためにと、

    障害者のアート展である、

    アートキャンプ新潟へ出かけた。

    東区プラザだった。

    Cさんの、障害のある子の父親の話だ。

    彼は、子どもたちのために本当に奮闘努力の人だった。

    子どもたちが地域社会で受け入れられ、

    そこに居場所を作るために、

    祭りに参加し、プレジョブをやり、劇団を創っている。

    そして、今では、アートで活躍中だ。

    いつもいつも教えられることばかりだった。

    やっぱり世の中とは、誰かがやらねば、始まらないものだ。

    想っていても駄目。

    身体を動かす。

    そして、少しでも形にする。仲間を集める。実績を作る。

    その実行力とバイタリティーには、頭が下がる。

    さて、彼の話。

    「どんどん迷惑をかければいいさ」

    「子どもたちは、子どもたちで集まっているだけでも楽しんだがね」

    「居場所って、何をやってもいい場所だよね」

    「迷惑をかけてしまったら、ごめんねって言えばいいんだがね」

    「障害のある子が、家族に居てくれていかったよ」

    「そのおかげで、いろいろ人に出会えたよ」

    会場からの話も、何だか心に沁みたな。

    Cさんのように、カミングアウトできない人も多かった。

    どうしても、他人に我が子のために迷惑をかけられないと言う。

    また、反対に、自分の子の障害を親しい人にも知らしていない人もいる。

    どうやって自立させたらよいのか。

    これから、どうやって親子で生きていたらよいのか。

    みんなの悩みは、とてもとても深い悩みだった。

    しかし、一人一人の声を聴きながら、

    ああ、この人たちは、本音で語っているなぁと感じた。

    つまり、本音だから、きっとこの想いはその言葉を聴いた誰かに受け止められ、

    共感され、そうだねと言われ、私もですよと、安心する。

    みんなそれはそれは大変な現実に日々向かっている人たちだ。

    でも、そのことで、多くの仲間や同志を得ていた。

    それを、カミングアウトした人たちだけには。

    地域において、障害のある子を快く受け入れてくれる人だけではなかった。

    時には、冷たくされたり、拒否すらされることもある。

    しかし、Cさんは、そんなことに絶対にめげない人だった。

    「否定している人が居たら、その人と距離を置けばいいんだがね」

    その想いに到るまで、彼はどれだけ痛みを感じて生きて来たことだろう。

    Cさんの言葉を上手くは表現できない。

    ただ、彼の深い、一途な想いで、彼はここまでやり遂げている。

    それは、本当に凄いことだ。

    そうした人が、1人居るだけで、こんなにも世の中が風通しがよくなるんだ。

    やっぱり行動だなぁ。実践だなぁ。

    文句を言ったり、何もしないのに人のことを批判ばかりの人は多い。

    自分のことを顧みず、人の悪口ばかり言っている人を私は知っている。

    私は、障害のあると言われている人たちの絵を、

    それから一枚一枚、身体全体で向かい合って、観ていた。感じていた。

    すると、ふと不思議な感覚を覚えた。

    このザリガニの絵は、この子しか描けない絵だよね。

    この子の心にイメージとして現れたザリガニだよね。

    この子は、そのザリガニを描きたくて描きたくて、

    きっと夢中になって描いた絵だよね。

    きっといろいろな色をキャンパスに置いて行くとき、重ねていくとき、

    楽しかったろうなぁと、想う。

    だんだんザリガニの姿が現れて来た時、きっとわくわく、ぞくぞくしたに違いない。

    さてさて、そうして長い長い時間をかけて、やっと完成。

    筆をおいて、その絵を見つめる。

    きっと笑顔だろうなぁ。満足だろうなぁ。感動だろうなぁ。

    さて、どうしてこの子が、障害のある子と言われるのだろうか。

    このザリガニを描ける子と、

    そのザリガニを描けない私とは、

    この絵を表現することにおいて、どちらが障害のある人と言えるのか。

    絵をステンドガラスのようにして考えてみる。

    この絵を描いている子は、その向こう側に生きている。

    その絵を見ている私は、こちら側に居る。

    この絵は、向こう側で感じたままに描き出された自由な絵だ。

    その絵は、実に、確かに、存在して、ここに在る。

    それを観ている私は、こちら側に居る人だ。

    実は、障害があるとか、ないとか人は勝手に言っているが、

    障害のある子を拒否したり、冷たくしたり、

    人のことを悪口を言ったり、批判したり、仲間はずれにしたり、

    そんな人こそ、実は、向こう側から見たら、

    障害のある人と言われるのではないかと言うことだった。

    何をとらえて、何を指さして障害だと言うのだろうか。

    案外、ステンドガラスの向こう側に生きている彼や彼女は、

    とても平和で、豊かで、喜びに満ちた、

    独自の世界を生きているのではないだろうか。

    言葉や理屈がないから、私たちは教えてもらえなかっただけで、

    本当は、私たちの世界よりももっと神様に近い、

    深くて大きい世界の中で、とっぷりと浸かって生きているのではないだろうか。

    もし、障害があると言うならば、

    生きているみんなが、障害のある人として、この世を生きている。

    もし、障害なんてどこにも存在しないと言うならば、

    本当に障害なんか、この世のどこにも存在しないんだな。

    ただ、あの一枚の絵が在るように。

    そういう人が、ここに生きているというだけなんだ

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