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from: クマドンさん
2018/04/15 06:53:41
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楽しみなことには時間を忘れて
時間があるから、できるというわけではない。
時間はなくても、その時間を作る時、何かをできる。
時間に流されながら生きることの心の安らぎを感ずる。
あれも、これも、ではなく。
まず、今、ここで、やっていることに集中し、
その気持ちが持続できるなら、そのままそのことをやり続ける。
終わりの時間を想いつつも、その想いに自分自身を委ねて行く。
すると、気持ちよく、時間を過ごせる気がしている。
「親父たちよ」を書けない日がある。
それなりに理由はあるが、それも時間の流れの結果だった。
そこに委ねる。そのままにする。何も加えない。あるがままにする。
「生を明らめ、死を明らめる」とは、
そのままにしておくということでもあるなぁと、想った。
さてさて、書道をまた習うことにした。
師匠によって教えてもらうことは、村上以来なので、
実に25年ぶりとなった。
その間、全く書とは縁のない生活を送った。
あの頃、若者たちに交じって、書を習った。
師匠は80歳近くの飄々とした風貌の男の先生だった。
まず、感動したことは、その師匠が書を書くその姿だった。
筆先に命がこもり、意志をもった生き物のように、躍動する、線を引く。
一本の線が、本当に生きた線として輝きだしてくる。
たった一本の線なのに、言葉では言い尽くせないものを観ている私に感じさせた。
習うとは、やっぱり真似をすることなんだな。
私は、その師匠の書に向かう姿勢そのものを真似、
その脈々として凛として力強く柔軟な、
そんな筆先の動きに魅了された。
また、時々、哲学的な言葉をぽつんとつぶやく。
その個所で迷い、立ち止まっている私にとって、
その一言は、青天の霹靂。雷のように鳴り響き、がーんとその瞬間腑に落ちる。
筆の動きに迷いがあったり、意志が伝わらなくなっていたりすると、
描く線そのものに、如実にその心が顕れる。
線を私は描きながら、実は、私の内なる心を顕していた。
そのことに気付かせられた時、何だか背筋がしゃんとした。
筆の運び方。
線を引くときの筆の速さ。
力の入れ方と力の抜き方。
とにかく、実地で学ぶことほど、多くを学べるものはなかった。
家でおさらいをする。
百枚が目標だ。
一つの課題に対して、百枚を書く。
そして、毎週何曜日だったか7時に岩船の公民館に行く。
そこで、師匠に書いた書を直してもらう。
丸がつくだろうか。良しと言ってもらえるだろうか。
いつも師匠の前に立たせられると、緊張していた。
一つ一つ言葉で教えてくれる。
まだまだだなぁと言われると、正直がっかりする。
嫌だなぁと想うこともある。
でも、言われたことは事実なんだから、それを素直に受け入れる。
そして、その指摘されたように描けるように、
そこから、新たな試行錯誤・工夫が始まる。
書に真剣に向かっている時は、考えながらも無心になる。
工夫しながらも、無意識に筆を動かす。
そのすー、すーと、描いているその時間に心が満たされる。
不思議なんだな。
私は、8級から始まって、2年間でとうとう3段にまでなることができた。
それは、みんなこの師匠と出会えたおかげだった。
人は、やっぱり出会いなんだな。
そんな書道の門を、私は再び60歳でくぐることとなった。
全くの新入生だ。
中地区公民館の4階の講義室に入った。
みな人生の大先輩たちばかりだ。
その中に、私が大好きな町内のKさんが居た。
亡くなった母と同級生だから、もうすぐ90歳になるだろうか。
この人、書の達人だった。
彼も、昨年から一念発起しての新入生だと言う。
こんな偶然は、やっぱり必然で、定なんだと改めて思った。
ここの師匠は、矍鑠と凛とした美しい女性だ。
70歳代だろうか。
彼女は、私に道具の置き方と、筆の持ち方を親切に教えてくれた。
「このお手本を使って書いてください」
そこには、横棒・縦棒・左払い等、基本の線が描かれてあった。
「ここからだなぁ」と、何だかとても嬉しくなった。
「初心忘するるべからず」世阿弥だな。
また、百枚に挑戦する日々が続くようだ。
それもまた楽しみなこと。-
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