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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/04/17 08:47:44

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    不思議だなぁの3人

    さてさて、縁とは異なもの味なものかな。
    不思議だなぁを感ずる日々だ。

    昨日、妻のお母さんの退院の日だった。
    市民病院隣のN病院。
    3月に自転車で転倒して、左ひざ下の骨を骨折。
    山に行くために、84歳の彼女は、
    登山ザックを担いでの運転だったという。
    本当に本当に豪傑な猛女だ。

    ボルトを入れる手術の後、長期間のリハビリ生活。
    とにかく、自宅で自立した生活ができるまでの辛抱だった。
    晴れて、昨日、退院の日を迎えた。
    私は、そのために妻の姉を乗せて、病院に向かった。

    この病院には、私の古くからの山仲間Kさんが入院している。
    股関節の人工骨を入れるための手術を受けた。
    三回目の手術だった。
    股関節を抜き、そこにボルトを埋め込み、人工骨で接合する。
    並大抵の痛さではなく、気絶寸前だとも聴いた。
    退職の報告に久しぶりに彼の自宅に行ったら、
    明日からN病院に入院するとのことだった。

    私は、手術から1週間たっているので、
    義母に断り、彼の病室を訪ねた。
    突然の私の来訪に、彼は驚き、喜んでくれた。
    「明日、退院するんて」と、ほっとした様子だった。
    いつも、このタイミングだった。
    明日だったら、彼には会えなかったということだ。

    彼には、山でどれだけお世話になったか分からない。
    いつも本気で登った人だ。
    百名山を踏破して、スイス・ニュージーランド・カナダのトレッキングもした。
    ところが、どれだけ山が好きだった彼なのに、
    神様は、彼から山に登るための足を奪った。
    本当に何だかねぇのピンポイントだ。

    私は、かって思っていたことがある。
    それは、私が晴れて退職できたら、
    平日にがんがんと彼と山に登ろうということだった。
    そのことは、彼と私との共通の夢でもあった。
    「クマさん、退職の日、待ってるよ」と、
    そしたら・・・・。
    本当に人生は、明日は分からないものだ。

    ところが、3年前に私が臨港病院で内視鏡手術の失敗により、
    腹膜炎を起こして、生死を彷徨う大手術をN大で受けた。
    その翌年には腹腔ヘルニアで、また腹を真っ二つの再手術。
    その回復を待つために、歩くことだけを許された生活が1年間続いた。
    やっと腹筋が繋がりかけた昨年の3月には、
    何と椎間板ヘルニアで、坐骨神経を痛め、激痛の日々、日々。
    座薬が足りずに、長男に病院に取りに行ってもらったこともあった。

    不思議だなぁ。
    あんなに山とスキーに燃えていた私は、
    3年間、全く山もスキーも行けぬ日々を過ごした。
    そして、同じく山男のKさんは、
    股関節の壊死の痛みで、眠ることもできずに、苦しんでいた。

    人の人生には、何が起こるか全くわからないものだ。
    「まさか」の連続。
    それが、きっと人生と言うものだろう。
    願ってたり、想っていたり、夢にみていたりしても、
    それは、現実とはならないものだし、
    かえって、現実の過酷な試練に、何だか裏切られた想いにもなってしまう。

    ああ、どうしてわたしばかりが。
    ああ、どうしてこんな悲惨なことが次々と。
    とは、想うこともあるが、私も、彼も、やっと分かったことがある。
    それは、「それが、きっと、人生なんだ」と云うこと。
    つまり、「生きているっていうことは、そういうことなんだ」と云うこと。
    そこに、想いが到り、ある意味、じっとそのことを見つめて、
    いつしか二人はそれなりに歳をとり、じたばたしなくなった。

    あのKさんの笑顔には、そうした深い深い諦念があった。
    「クマさん、こんげになってしもうたは」と、しみじみと云った。
    それも、ちょっ微笑んで、静かな口調で。
    「そうらね。でも、またリハビリして、山に登れる日が来るて」と、私。
    「いゃ、立つのがやっとらがの」と、また例の笑顔。
    二人の夢は、今朝のようなこの春の好天の日に、
    電話をかけて、
    「Kさん、天気いいっけ、五頭山でも登ろてば」
    「そぅなの。帰りに出湯温泉でもへってくっかね」だった。

    それは、骨折のリハビリ中の義母も同じだ。
    84歳、山に登る。
    84歳、何がめでたい。
    とにかく、タフな彼女も、今では、杖を離すことのできない身体となっている。

    山男・山女の3人は、それぞれの理由で山に登れない身体となった。

    そうなってしまった。
    そのことは、どうにもならないことだ。
    だから、そのことを自分自身でどう受け入れるかなんだな。
    全ては、自然なる成り行きなのだから、
    その自然の成るがままに、任せて、委ねて、何も責めず、何も悔いず、
    ただ、淡々と「今あるもの」に満足して、
    「足るを知る」そんな生き方を、するためのそれはある意味、
    私たちの道場だった。

    そんな3人がここに繋がっている。
    お互いに、お互いのことを、何も語らずとも深く理解できる。
    その心の奥に秘めた想いを、ただ感ずるままに、感じられる。
    「あなたもですか」
    「あなたもですね」

    これって、こうした状況に置かれた人しか理解できない味わいだった。

    私は、Kさんの寂しそうな笑顔と、
    義母のポツンと独りベッドに座っている姿から、
    それを感じた。
    3人は、そうした意味では、「分かち合える」仲間でもあった。

    義母を乗せて帰宅する間、
    不思議だなぁを感じていた。

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