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from: クマドンさん
2018/05/07 07:00:03
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クラッシック・ストリートだった
土曜日だった。
クラッシック・ストリートが古町であった。
私は、事前にスケジュールを立てて、コンサートに向かった。
あき乃で山菜天ぷら蕎麦の大盛を食べた。
そこでは、いつもその天ぷらで蕎麦焼酎だった。
休日なら昼酒も赦してもらえるのでは・・・・と、勝手に決めた。
女将さんとは、いつもアルビ談義だった。
連勝のアルビは、日曜日のホームでけちらしてくれることを期待した。
ストリートでの、サックス四重奏。
素敵だった。
サックスは、人の声と同じだと、教えてもらったことがある。
歌っている。想いや情感が、豊かにその音から感じられた。
高さの違う四つの音が、音楽を奏でている。
違うことの同一感とでも言うのか、
あ・うんの呼吸で、お互いを支え、尊重し、自分を主張し、また人に譲って行く。
その見えない心のやり取りこそ、優れたアンサンブルなのだと感動だった。
アルトサックスは、隣の町内のYさんだった。見事な演奏。
次は、本町下の小さなピルの2階のレストラン。
なんと超満員で、入り口に椅子をちょこんと用意してもらった。
三人の女性による合唱だった。
これがまた素敵で、素朴なる歌声で、いいなぁと感じた。
声とは、その人の現れだった。
その声を聴くと、その人が何だかダイレクトに感じられる。
歌は、人が歌うものであり、人の魂と心とが歌うもの。
そのことが顕わとなるアカペラに、彼女たちは挑戦していた。
私は、コンサートが終わってから、声をかけた。
彼女たちの連絡先を聞くためだった。
さて次は、本格的なプロの歌声だ。
まず、ピアノソロ。シューマンだったかな。
彼女がピアノを弾き始めたとたん、そのホールの空気感が一変した。
遅れて入った私は、椅子に座った途端に音楽の濃厚な世界に旅立っていた。
「あれ、ここは、どこ」
そんなことを感ずる間もなく、音の世界に酔いしれた。
次は、「ロミオとジュリエット」のアリアだった。
眼で歌う。歌声の美しい響きが、彼女の身体を包み込む。
この音は、あの身体のどこから発せられているのか。
こうして歌う。こうして響かせる。こうして歌に心を乗せる。
テノールの男性とのデュエットも美しかった。
これぞ、ベルディ―。これぞ、イタリアだったな。
音楽のマジックは、その場ですぐにイタリアに行けることだ。
次は、私の大好きな永遠のディーバであるHちゃんだ。
私は、密かにピンクのバラの小さな花束をリュックに忍ばせていた。
会場は満員御礼となった。
スコッチを頼んだら、これが格別の旨味だった。
名前を尋ねたら、「ティチャーズ」だとのこと、これも運命の出会いだな。
彼女の歌が始まった。そして、私は、驚きと不安を感じた。
彼女の歌声が掠れている。高い声が伸びてこない。歌う声が切なく響く。
喉をやられていることがよく分かった。
歌うことをいのちとして、こうした舞台を大事にしている彼女。
来てくれたお客さんのために、本当に誠心誠意歌い切ることを信念としている彼女。
どれだけ、無念だったことと想うと、涙が溢れた。
泣きたいのは彼女の方だった。
しかし、しっかりと私たちを見つめ、切々と愛の歌を歌っている。
私は、そうして歌い続ける彼女に、人としての尊さと偉大さを観た気がした。
どんな状況・運命であろうとも、立ち向かい、やり切っている彼女だった。
私は、すごい舞台を観ているような錯覚すら覚えた。
「これは、舞台だ」と、何とも言えぬ真実の物語に深い深い感動だった。
そのために、急遽、ピアニストのお嬢さんのソロが入った。
このドビュッシーが美しかった。
哀愁が在り、不思議な間が在る。すーとその音に惹きこまれてしまった。
そして、Hちゃんもピアノを弾いた。
いや、きっと思いのたけを込めてピアノを鳴らした、歌わせた。
ピアノが歌を歌っている。切々と哀愁と哀しみを込めて。
そのメロディーと深い音色とは、まさに今、ここの、Hちゃんだった。
「これは、舞台だ」と、そのリアルに鳥肌の立つ想いだった。
彼女は、彼女の置かれた運命を、歌に託した。それを演じ切ったな。
最後は、私の敬愛する視覚障害者であり名バイオリニストのSさんだ。
彼との出会いは、10年前に彼が新潟に帰って来た時から始まった。
当時60歳だったろうか。沼垂の山小屋のカウンターだった。
私は、山小屋での彼のバイオリンコンサートを企画した。
沼垂の吟遊詩人として、ツゴイネルワイゼンや、チャルダッシュを、
あの焼き鳥屋の店の中で、山小屋の常連たちに聴かせた。大喝采だった。
演劇の伴奏に参加してもらったこともあった。
彼は、3年前に突然、脳梗塞で倒れてしまった。
幸い、リハビリによって、手足の麻痺は回復されたが、
残念ながら記憶に障害をもつこととなった。
楽譜を眼で読めない上に、記憶に障害を持ち、覚えたら忘れる繰り返し。
その中で必死に稽古を繰り返し、不屈の精神で立ち上がり、その日を迎えた。
一音から、響きが変わっていた。
Sさんしか、絶対に出せない人生の苦悩を経て来た確かに深い深い音だったな。
他の満員のお客さんたちは、知らない。
サングラスをかけた初老のダンディーなバイオリニストと観るだけだ。
まさか、視覚障害と記憶障害を持つ音楽家とは知らないだろう。
でも、彼は、音楽に生きていた。
私は、彼の渾身の想いで奏でられる「真田丸」を聴き、涙、涙だった。
この曲を覚えるのに、彼は1年以上を要している。
彼の音には、人の百倍・千倍の努力の音だ。
終ってから、彼の傍に行き、肩に手をかけ挨拶をした。
声をかけたら、彼の笑顔だった。
私は、涙で声にもならなかったな。
ある会場で、可愛い男子高校生に会った。
Tちゃんだった。彼も、私のことを覚えていてくれた。
彼は特別支援の1年生で、私は級外の教師だった。
ここで出会えるかの、覚えていてくれたかの、ただただ感動だった。
さてさて、これが私の「クラッシック・ストリート」だった。
サックスのIさん、ごめんなさい。
時間ががSさんとブッキングでした。次は、必ず一番で。-
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