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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/05/17 09:32:55

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    西郷さんからの宿題

    朝、起きられない一週間だった。
    無色人でありながら、なかなかのスケジュールの日々を過ごしている。
    独りでゆっくりとしていたいが、
    何だか一日に一つは、「あれをやった」と自己確認できることをやっている。
    ぼんやりとテレビを観て過ごしている日はない。
    でも、そのために少々疲弊気味の私だった。

    大山台農園クラブが出来そうだ。
    市の助成を求めるための申請資料を作成した。
    昨日、そのことで打ち合わせがあった。
    動き出している。
    夢だったことが少しずつ形になっている。
    それが何よりの嬉しさだ。

    「慈」だなぁと、よく感ずる。
    昨夜、撮りだめた「西郷どん」を3回分まとめて観た。
    涙、涙だったな。
    斉彬との出会いと別れ。
    月照との出会いと別れ。
    その中を真っ直ぐに、誠実に突き進む西郷どん。
    師と仰ぐ人と出会い、
    その師からの絶対の信頼を得て、使命を与えられる。
    その使命を、まさに命を賭して全うしようと奔走する。

    しかし、西郷の運命は、あまりにも過酷だ。
    順風満帆どころか、大嵐の中の小舟での航海ばかり。
    斉彬の突然の死。
    島津家の幕府への恭順。
    幕府から追われる西郷は死罪を命じられる。
    さてさて、西郷の何の思惑もなく、私情もなく、
    ただ、斉彬の理想を実現するために邁進するばかり。

    気が付けば、島流しに会い、罪人としての生活が待っていた。
    何を信ずればいいのだろうか。
    そんな幕末と討幕の時代の流れの中で、
    彼は、一先ず時代の大きなうねりから引き上げられ、
    小さな島に置かれた。
    それはきっと天の配剤。
    彼の命を永らえるための秘策でもあったか。

    極貧・絶望・飢え・寒さ・孤独・痛み・苦しみ・悲しさと、
    そこには、ありとあらゆる人としての痛みと切なさとに充ちていた。

    彼は、まさに「慈」の人だったと、私は想う。
    人々の苦しみや悲しみを見過ごしにできない人。
    人の哀しみや痛みや辛さを、我がごととして感じられ、
    共に、涙を流せる人。
    ドラマでは、そのことを誇張して書かれているかもしれないが、
    きっとこういう人だったんだろうなぁと、私は、想う。
    それは、彼が、身をもって全てのことを味わったから、経験したからだ。

    あの江戸時代、武士たちの世の中で、この「慈」を感じ、
    その「慈」によって行動しようとした男が、
    西郷隆盛ではないだろうか。
    彼は、よく泣く。涙を流す。感謝する。頭を下げる。真っ直ぐに生きる。
    その生き方の基本には、貧しく大家族で互いに助け合い、
    慈しみあって生活して来た家族への愛があるのではないだろうか。

    それは、稀有な存在だったと今でも思う。
    この現代にも、彼のような男は、残念ながらきっと稀有な存在なのだろう。

    「慈」とは、「慈しみ」である。
    西郷には、弱者や貧しき者や飢えや哀しみの中に在る民百姓への、
    その「慈しみ」がまず感じられる男なのだと、私は、想う。
    「慈しみを感ずる」それが、人としての仏の証だ。

    「何とかしたい」「見捨ててはおけない」「ほっとけない」
    その想いが切に生まれる時、
    人は、人のままに「仏」となれる。
    まず、この「慈しみ」ありや、なしやだ。

    そして、ならば、その気持ちのままに、真っ直ぐに行動することだ。
    彼は言っている。
    「金も、名誉も。地位も、命もいらぬ者でなければ、本当の仕事はできない」と。
    彼は、まさにその「無欲」「無私」をそのまま生きた人だった。
    「言行一致」が彼の信念だからだ。
    彼の想いと俺の行動とは、一如なんだ。

    その「行い」こそが、「悲」である。
    それは、人の心に非ず、仏の心也。
    彼は、仏と言ったかどうかは分からないが、
    彼にとって本当の師は、「天」だった。
    その「天」が善しとすることを、彼は善しとして果敢に行っただけ。
    その生き様が「敬天愛人」。
    その生き方とは、まさに「慈悲」の生き様そのものだった。

    この大山台農園クラブも、「慈悲」の顕れでありたいし、
    「敬天愛人」そのもので続けて行きたいものだと想っている。

    そして、私には、大きな宿題を西郷さんから託されている。
    それは、北区の松浜に西郷さんは、
    新潟湊が官軍により占領されてからの一カ月間、
    滞在して動かなかったという、その物語を書くことだった。
    私は、彼が滞在していたお屋敷を知っている。
    そして、現在の家主とは、知り合いの仲だった。

    西郷さんの物語は、遠く鹿児島の物語ではない。
    ここ、新潟市北区松浜の物語だ。
    私の師からその事実を教えられた日から、
    その物語が私への西郷さんからの宿題となっている。

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