新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2018年05月25日 08時59分02秒

    icon

    「地獄の黙示録」を観た

    「地獄の黙示録」を観てきた。
    コッポラの紛れもない傑作だった。
    これほどまでに自分の想いをドラマにして、
    息をつかせぬ迫力と真実に、
    観る者の魂を鷲掴みして離さない映画は、
    そうあるものではないなと、とにかく感嘆した。

    映画が映画として面白くなるための要素が、
    ここには全て詰められていた。
    一つ一つのシークエンスが、本当に巧みに計算され、
    効果的に緊張感を高めるための伏線が貼られてあった。
    そう追い込まれて行くから、
    私も主人公と同じように同事体験をするのだった。

    一つの場面は、起承転結があり、
    終わりに向かって突き進み、
    時には、最後は救いようのない悲劇となってしまう。

    私は、ベトナム戦争の真っただ中だった。
    ロバート・デュバルのヘリコプター部隊の隊長は、
    サーフィンをしたいために、あるベトコンの拠点の村を攻撃する。
    ワルキューレが鳴り、圧倒的な戦力で、一気にその村を壊滅させる。
    機銃を打ち続け、ロケット弾を発射して、
    走って逃げるベトナムの人たちを次々と殺戮して行く。

    彼には、戦争に勝たねばならないという信念が在り、
    この戦争を早く終わらせたいと言う願いが在り。
    部下を独りでも死なせたくないと言う想いも在る。
    戦場においては、全く信頼のおける、逞しい、頼もしいリーダーだった。
    だから、迷わない。
    この殺戮は、彼にとっては正義であるかもしれない。
    だから、殺し続けられる。
    女・子ども。爺さん、婆さん、赤ん坊。
    何でもいい。とにかく、皆殺しだった。

    つまり、大義名分が在れば、戦争における人殺しは、人殺しにはならない。
    多くの戦場で闘い、たくさんの人たちを殺したリーダーには、
    ちゃんと勲章と昇進というご褒美まである。
    そこに入り込んでしまった軍人は、
    その価値観が全てであり、
    そんな狂気である自分自身を俯瞰的にとらえることは、
    とうていできなくなってしまうのが、戦場と言う場所のようだ。

    そこに居るのは、自分の敵である。
    その敵を殺さなければ、自分と仲間とが殺されてしまう。
    ベトナムを共産軍から解放させる。
    自由で新しい国を建国する。
    だから、その新しい国づくりを阻止する勢力は、
    賊軍として、成敗する。
    自分たちは、その為にこの国で闘い、多くの仲間たちが犠牲となった。

    敵に対する憎しみは増幅され、
    殺戮を繰り返すことには、無神経・無頓着となっていく。
    狂気であることを狂気であると感じられたら、
    その人は、狂気の人ではきっとないだろう。
    もう一人の自分が、客観的に自分のことを見つめているからだ。

    しかし、戦いに命令によって向かわせられ、
    余りにも危険な状況である戦場に取り残された兵士たちは、
    やっぱり精神状態が尋常ではなくなってしまうのだった。
    「恐怖」だ。
    「地獄」の中に生かされていることへの「恐怖」だった。

    その「恐怖」には、大義はない。
    そのことを、みんな兵士たちは知っている。
    しかし、戦うことは、命令なんだ。
    上層部のサイン一つで、カンボジアの奥地まで生かされる。
    カーツという元グリンベレーの優秀な軍人を殺すためだけに。

    さてさて、長州と薩摩だなぁと、私は、想った。
    こんな視点で、この映画を観たことは初めてだった。
    人は、生きてみないと分からないものだ。
    高田藩も、長岡藩も、村上藩もだ。

    アメリカ軍は、ヘリコプターで、ロケット弾で、機関銃で、一掃する。
    邪魔な敵たちを全滅させるために、ナパームを落とす。
    ヤシの林は一瞬にして猛火に包まれる。
    「ガソリンの匂い」だ。

    これと同じことが、実は、慶応5年にこの越後で起こってんだ。
    突然、官軍が攻めて来た。
    そして、立ち向かう武士たちを殺し、町を焼き、町人たちの命と財産を奪った。
    ベトナムは、この新潟だった。

    私は、猛烈なスピードでヘリに追われ、機銃によって撃ち殺されて行く村人が、
    何だか、あの当時の高田や、長岡や、村上の人たちのように感じた。
    怒りが、悲しみが、憤怒が、やるかたなく溢れて、
    力いっぱい握った手が、がたがたと震えた。

    人が、正義と言う名の下で、勝手に地獄を作るのだ。
    大義がある人殺しは、名誉であって、人殺しには絶対に問われない。
    ここには、罪は存在しない。
    不思議だが、それが戦争と言う地獄なのだ。

    西郷隆盛は、松浜で、そのことに気付いたのではないだろうか。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件