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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/06/04 11:39:02

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    道を究めるためには

    お休みの人なのに、書けない日が多くなった。
    昨日も、超過密スケジュールだった。
    最後には夕食前に酒を飲みながら眠ったらしい。
    「西郷どん」すら観ていなかった。
    撃沈だったな。

    連合の運動会の反省会で、
    太鼓の師匠のAさんの隣に座った。
    というよりか、「こっちに来い」と手招きされた。
    いつもいつも「へたくそ。へたくそ」といわれてばかりの師匠だった。
    それでも、こうしてけなされてもついてから、可愛がってもらっている。

    4月の春祭りで、私は初めてもう一人の師匠Oさんに褒められた。
    本当に15~6年やって、初めてのことだった。
    「クマさん、いい調子で叩いていたね」だった。
    あの時、今でも想い出すことがあった。
    宮昇りで神明神社の境内で叩いていた時だ。
    ふと気付くと、太鼓の軽快な響きがアカシアから降って聴こえて来た。
    私が、確かに叩いているのに、
    その音は私の音でありながら、私の音として聴こえてこなかった。

    トランス状態とでも言うのか、
    夢中になって叩いている内に、全身から力が抜け、
    ただの叩く人となり、疲れも何も感じずに、まさに無心で叩き続けた。
    これって何だと、自分でも不思議な感覚だった。
    その時なんだな、きっと。
    師匠のAさんも、私の太鼓に耳を傾け、聴き入ってくれたのは。

    「俺は、褒めねんだ」と、Aさんが語りだした。
    「叩いている途中で褒めると、天狗になってしもうすけな」
    「これでいいと勘違いする。だから、俺は、褒めねんだ。」

    その代わり、Aさんは太鼓が集結した時、
    私をあちらこちらと引き回し、上手い叩き手の叩く姿見せ、音を感じさせる。
    「どら、違うろ」と、実地での指導だった。
    「おめさん、左手が弱ぇんだがな」と、ポイントは一つだけ。
    「叩いてみた」と、今度はみんなの前で叩かせる。
    でも、決して褒めない。
    私は、師匠の顔を見る。
    すると、ちょっとだけ満足な表情をする。
    「おっ」と、手応えを感ずる。

    「太鼓が遅いすけ、笛が疲れる。ついていけね」
    「笛と一緒になって鳴らねと駄目ら」
    その笛との一体感をとにかく大事にする師匠だった。
    私の太鼓は、笛が必死に合わせても、どこかでずれてしまうことが多い。
    だから、笛を吹く人が、気持ちよく吹けないそうだ。
    その指摘一つ一つが深くて、難しい。

    「ここでいいと思ったら、駄目らんぞ」
    私は、師匠の真似をしようとする。
    少しでも師匠の太鼓に近づこうとする。
    しかし、遙かにかなわない。
    師匠は、ずっとずっと先を行く。
    「俺は、沼垂も豊栄も万代も、みんな叩きに行って研究したれ」だった。
    とにかく、太鼓と日本酒のことにかけては、
    学者裸足・職人裸足で、凄い凄い人だった。
    自分なりのレベルを決めて、それを究めるまでやり遂げる人だった。

    「真似ではだめらんて。自分でつかまねば」だ。
    「みんな基本は同じらんだがな。」
    「その基本を活かして、いかに自分のものにするからんてば」
    「本当に上手い太鼓は、何人もいねな」
    「最後は自分なりの個性で叩く太鼓がいい太鼓らんだがな」だった。

    もっともっと深いことを教えてもらったが、
    あのびんびんと響くAさんの太鼓の音には、
    こうした哲学と信念とがあったのだと、初めて知った。
    身体でつかんでいる本物の音には、
    これだけの理論と理念とが裏打ちされていのだ。
    ただし、そのことはこんなにも長いお付き合いの中で始めて知ったことだった。
    そうしたことを、彼は今まで語ってはくれなかった。
    しかし、やっとその言葉の意味を理解できる段階に、
    もしかしたら私が達したから、
    手招きをして、私を隣に座らせたのかもしれないと、今は、思う。

    先日、あるイタリアレストランで渡り蟹のパスタを食べた。
    私は、映画までの時間がある時、よくここでこのパスタを食べていた。
    ある日のことだった。
    味がすっかりと変わっていた。落ちていた。何だこれはと驚いた。
    それで、お店の女性に訊いた。
    「味が違うんだけど」と。
    彼女は、慌てたが、その通りですとこくんと頭を下げた。
    「今日は、新人のチーフが担当しているんです・・・」

    そのパスタを先日食べた。
    絶品だった。
    ここの渡り蟹の味のイメージを遙かに超えた深い味わいだ。
    久しぶりに、何だか本物に出会えた。
    私は、そんな時は、黙って噛みしめながら、
    パスタと語り合ってゆっくりと食べる。
    私は、若い男の店員に、
    「美味すぎる。今までの最高の渡り蟹だよ。チーフに伝えて」と、言った。
    そしたら、彼が、とてもとても嬉しく、誇らしい顔をした。
    「このチーフは、私が一番信頼している人です。ありがとうございました」だ。

    その後、チーフも厨房から現われた。
    私は、「ボーノ」と、チーフと固く固く握手した。
    チーフは、照れたようにしながらも、嬉しさを身体全体で表現していた。
    出会えたな。本物と。

    この店の若いチーフたちは、きっとこの店の味を守ろうと、
    その店の味を基準にして、自分の創る味を決めているのだと思う。
    だから、あるレベルを超えた美味いパスタを創られない。
    だって、その味は、そのレベルにどれだけ近づけたかの味だからだ。
    しかし、一流のチーフは、その味の基本を守りつつも、それを超えた味を創り出す。
    そのことができるかどうかなんだと私は感ずる。

    Dというラーメン店の担々麺のスープの味が、時々、ぶれる。
    確かに似ているが、何か違う。
    足しても足してもその味が深まらない。
    味わうことでの身体の喜びを、そうたいして感じられない。

    何だ。どうした。どうなっているんだ。
    その身体の無反応を驚くのは、私自身だった。
    実は、それには理由があった。
    店長が違う店に行き、ここを若い店長が任されるようになったからだ。
    きっと彼は、その味に近づけようと試行錯誤の努力を続けているはずだ。
    しかし、それは、私の太鼓。

    さてさて、なかなかそのレベル・基準を超えたものにするのは、
    どんなことでも至難の技なんだなぁと、改めて知った。

    太鼓・パスタ・担々麺。
    その道を究めるために、何をすべきか。
    みんな同じなんだなと、Aさんの話を聴いて気付くことができた。

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