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  • from: クマドンさん

    2018年06月27日 09時47分14秒

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    言葉なんだなぁ。今、ここに在るんだなぁ。

    言葉を生きる。
    言葉なんだな。
    その意味を自分の意味として、
    その言葉の通りに、ただ生きている。生かされる。
    それでいいと、吉野家で牛丼を食べながら、感じた。

    「生きる意味を味わうのは、魂である。
     味わえるものはどこかからやってくる。
     魂はそれを静かに受け入れる。」

    「生きるとは、魂の世話をすることだ。 ソクラテス」

    「死は肉体との別れだが、この世との決別ではない」

    「死は、新生と同義だった」

    「自らもまた魂として存在していることを自覚せざるを得ない」

    「書けないことこそ書いてみたい。
     書けないと分かっているからこそ書いてみたい」

    「究極の一冊に書かれているものは、存在そのもの、もしくは無」

    「池田にとって書くとは、生きるの異名だ」

    「言葉が宿る。それが真のいのちを帯びる時、言葉を宿した者だけでなく
     言葉を植え付けた人間も救うというのである」

    「理論ではなく、物語を把握する力」

    この言葉は、若松英輔さんの池田晶子さんに対する言葉だった。
    私は、この言葉を、あの新大病院のベッドの上で書き溜めた。
    ちいさなA6版のメモ帳見開き2ページに書いた言葉だ。

    その時、この言葉と出逢った時、
    私は、このままこの言葉を忘れてはいけない言葉と感じた。
    深い意味は、その時は、きっと理解していなかったと思う。
    しかし、痛みと回復を待つ日々の中で、
    私は、池田さんと若松さんの言葉に出会いも
    どれだけ救われたことだろうか。

    読んだ先から、出会った先から、あんなに感動していながらも、
    すぐに私は、言葉を忘れた。
    反芻して、何度も頭の中で繰り返し唱えても、
    やっぱり大事だと思った言葉を私は、忘れた。

    でも、ある時から、それでいいと思えるようになった。
    私は、通り過ぎるその流れの途中で、
    その言葉を拾った。
    そして、メモ帳に記録した。
    そんな言葉が、どんどんと病室のベッドの中で増えて行った。
    池田さんは、もうこの世に居ない人だった。

    若松さんの著書と出会って、彼女のことを私は、知った。
    そしたら、彼女の言葉が、私を触発した。
    何だかその言葉によって、
    生きることについての、原点を教えられたような気がした。
    深く深く、私の中で眠っていたものが、目覚めた。

    そして、私が、私であることを、
    この池田さんと若松さんの言葉が、表してくれた。
    「ああ、こうだったんだ」
    「そうだ。こう生きていれば、それでいいんだ」
    いつしか、私は、
    その言葉のように生きたいなぁと、想うようになった。
    そして、時々、こうしてそのメモを振り返る。
    牛丼を味わうように、冷酒を味わうように、私は、言葉を味わった。

    何だか言葉と共に在るものを、私は感じたいと願っていた。
    牛丼の味わいは、いつもと変わらぬ味わいだ。
    しかし、この味は、あの牛肉とご飯と玉ねぎとを口に入れて味わう時だけ、
    私が感じられる味でもあった。
    それは、ライブであり。ナウであり。今、ここである。
    味わうとは、その瞬間そこしか存在しない行為でもあった。

    つまり、味覚は吉野家の牛丼の味を味わう。
    私は、それと同じようにして、今、この時を味わって生きている。
    それでけで、いいのではないかと、
    毎日何事も無く、日々を平穏に生活して夜を迎え、ただ眠る私。

    昨日は、連日の酒の飲み続けと、31度の蒸し暑さに、
    少々グロッキーな私だった。
    だから、横になった。
    そして、ぐったりとして賢治さんの童話・物語を読んでいた。
    部屋に友だちが欲しかったのか、
    私は2本のヒマワリとフリージアのような花を買って、花瓶に入れた。
    切り花もいいものだ。
    ここに、こんなに傍に、いつも居てくれる。

    それから、夕方、難儀な身体を起こして、バス停まで歩いた。
    コンサートに行くためだった。
    スロバキア国立放送交響楽団。
    「未完成」「運命」「新世界」
    何と言うコンサートだろうか。
    県民会館の入りは、5割くらいかな。
    そして、私は、その音に酔いしれた。楽しんだ。心をときめかせた。
    あっと言う間の2時間だった。
    私は、音を感じた。その音を味わった。その音は、私の魂を楽しませた。
    それだけ。ただ、きっと、それだけ。
    それでいいし、それがいい。

    感じて、動く。
    それが、生きているということではないだろうか。
    ここにある。
    そのここにあるものを、感じ、考え、想い、味わう。

    さてさて、さっきもないし、先もない。
    今、ここにある。
    それを感じている私が居るだけ。

    今日は、朝から雨だった。
    今は、その雨が上がり、蒸し暑さが増して来た。

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