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  • from: クマドンさん

    2018年07月16日 10時58分01秒

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    涙する

    今日は、休日なんだ。

    毎日が日曜日の生活で、月曜日は月曜日なんだと勘違いしていた。

    ワールドカップ決勝戦だった。

    ああ、お休みしててよかったと今回はつくづく感じた。

    夜中の決戦だ。

    こちらも覚悟してワールドクラスの熱戦を観る。騒ぐ。滾る。叫ぶ。

    どれだけ歓喜の雄たけびを挙げたことか。

    それは、やっぱり「サッカー」だからだろう。

    熱狂と興奮。

    しばらくは、サッカーロスになりそうだ。

    そして、この寝不足を徐々に解消していかねばならないだろう。

    みんな、仕事、どうしているのかな。

    最近、涙脆くなっている。

    というよりか、すぐに涙を流す。

    「きた。」と感じると、どうしてよいのか分からなくなる。

    これも私の意志ではなく、交感神経の為せる業なのか。

    どうしたらいいのか分からないくらい、

    いつ何時でも、処かまわず、誰といてでも涙を流す。

    今朝も、朝食を食べて庭のキュウリの葉っぱを観ながら、

    「カバティーニ」を聴いて、涙を流した。

    「おいおい、ここですか」だった。

    涙を流す、私が居る。

    私は、涙と共にその私を感ずる。

    「ああ、涙の私がまた深く感じて動いているなぁ」と。

    昨日は、礼拝の途中にぐっと来てしまった。

    「全てを失ったところから、イエス様への信仰が始まる」

    そんな牧師さんのお話しだった。

    深く深く頭を垂れて聴き入っている60代後半の求道者の男性だった。

    「ああ、あの人がそうであるように、私もそうだったなぁ」との実感だった。

    しかし、彼は、洗礼へのその一歩を踏み出していなかった。

    私は全てを失い、救われた。

    彼は、きっとかっての私のようにして全てを失ったまま生きていた。

    「今、何だな。彼を、きっと神様は呼んでいるな」だった。

    そして、讃美歌「驚くばかりの」を歌った。

    そして、私の一つ隣の席の老いたる女性信者のHさんが、涙を流した。

    私は、彼女がハンカチで涙を拭いている姿が眼に入った。

    途端に、私もどっと涙が溢れ、歌えなくなってしまった。

    でかい声で歌っていた私の歌声が、急に消えた。弱くなった。震えた。

    何だかねぇ。本当は嗚咽して泣きたかったが、我慢した。

    JAZZストリートだった。

    SLIMさんの一時帰国だった。

    私は、ピアノを弾いている彼を見て驚いた。

    彼は、昨年の夏にニューヨークに行ったはずだからだ。

    彼のゴスペルは魂を揺さぶった。

    そのソールフルネスな、うねるような、音楽の魂の響きは、

    とてつもなくピュアで、情熱に溢れ、愛があった。

    私は、たった一度の出会いで魅了され、好きになった。

    まさか、ここで、また出会えることとは・・・。

    そして、heartwarmで、lyricismで、音楽への愛が溢れる、

    まさにmessageのあるピアノが奏でる歌声に、痺れた。ただ、浸った。

    そして、涙が、また、涙が溢れてとめどなく流れた。

    私は、恥ずかしかったので、そっと窓の明かりを見ながら、聴いた。

    musicと涙は、同じだった。

    「愛、なんだなぁ・・・」深い、深い、感動だった。

    それから、北区キリスト教会のコンサートだった。

    私はこのコンサートを行っている日比野夫妻を心から尊敬している。

    音楽は、確かに天井からの愛のメッセージだった。

    言葉で語ることも大事だが、

    音楽は、ダイレクトに、独り独りの魂に迫り、感じさせ、涙させる。

    私は、どれだけ音楽を聴きながら、涙したことだろう。

    本当に、実に、恥ずかしいくらいに、よく涙する私なんだ。

    WAT A WONDAFUL WORD

    この歌詞の訳を聴きながら、その愛のメッセージに涙が溢れた。

    ここで、涙を流すわけには行かない。

    私は焦り、恥ずかしいと感じながらも、

    日比野さんのサックスを聴きながら、とめどなくとめどなくだった。

    どうなってしまったのだろう・・・・。

    私は、いつもどこでも涙を流す。

    涙する私が居る。

    でも、それは私なのか。それが私なのか。それこそ私なのか。

    そして、今朝、NHKの番組でアニメ監督の細井守さんの話だった。

    「家族って、愛ですよね」と笑顔で語る。

    「愛」その言葉が、その途端に、とてもとても新鮮に、

    改めて「そうだっんだ」と、腑に落ちた。

    私は、何を言いたいのか自分でも分かっていない。

    だから、きっと、こうして書きながら、その「何」かを探し求めている。

    私が、涙するのは、それは私の「愛」が涙するのではないだろうか。

    涙は、愛なんだな。

    愛であるから、きっと愛に出会うと、深く感ずる。

    愛でありながら、愛で在り得なかった自分自身が、

    その深い深い愛、それは、真であり、善であり、美なのだと思う。

    その本当の愛に出会った時だけ、

    私は、涙の私が感応して、姿を顕す。

    まさに、愛の顕れこそが、涙なのではないかと、

    あのキュウリの葉っぱを見て、はたと気付いたのだった。

    この世界は、愛なのではないか。

    そして、涙は、そんなあなたでも「愛」なのですよと、

    そっと私に教えてくれているのではないかと。

    涙を流せる私は、このキュウリと雀の友達なんだ。

    本当はみんな家族なのではないだろうか。と、考えてしまった。

    私は、よく涙を流す。

    それは、自然と感じて、どうにもならなくなり、涙が溢れて来るからだ。

    それは、どうしてなんだろうかと、

    涙を流す度に、そうやって私の人を観察している。

    やっとほんの少しだけ、涙の意味が分かったような気がしている。

    もし、私が「涙の人」であったなら、

    どれだけ深い生き方をできる人になることだろう。

    私の愛する先人や同時代の人たちは、

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