新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2018年08月25日 08時19分50秒

    icon

    深い意味とは何か。

    「半分、青い」に泣けたな。
    律が、和子さんと話をするシーンだ。
    和子さんに買って来た苺を食べている律。
    このドラマは、無言との時に深いものを感じさせる。
    岐阜犬がワンと話す。
    律は、和子さんがそこに居ることに気付き、
    母親に、自分の感謝の心を打ち明ける。

    この犬のぬいぐるみを通してだから言えること。
    私は、臨終の母にやっと言えた言葉。
    「ありがとう。お母ちゃんの子どもで幸せでした」
    律は、そう語ってやれた。
    和子さんは、生きている間に、その言葉を聴けた。
    嬉しかっただろうなぁと、想った。
    親としての最高の幸せだなぁと、想った。

    私は、もうどうしようもなくなっていた。
    「お母ちゃん、ありがとう。本当に、本当に、ありがとう」
    その時、ふと感じたことがある。
    思い出を残すのは、私ではないのではないかということ。
    上手くは言えないけれど、
    人とは、愛する人の心の中に、思い出として遺ることではないのかということ。
    つまり、遺された人が思い出すのではあるが、
    その遺された人の心の中に、思い出として生き続けること。
    それって、人として生まれて来た使命でもあるのではないかと思った。

    つまり、私の心の中には、母も父も生きている。
    思い出せば、亡くなった祖母も、叔母ちゃんも、ここには生きている。
    また、山の仲間たちもそうだ。
    姿は見えず、この世のものではなくなっていても、
    ここには、少なくとも私の想いの中には、ちゃんと生きている。
    だから、時々、話しかける。
    その存在をすぐ傍に感ずる。
    その声を、想い出せる。

    ああ、人とは、死なないものなんだな。
    いや、死者と言う人になって、こうして在り続けるものなんだなぁと、
    何だか律と和子さんとの会話を聴きながら、
    しみじみとそのことを感じた。

    では、私は、死んでから、誰かの心の中で生き続けられるのかだ。
    それは、きっと、感謝され、「ありがとう」を言われたらそうなるものだと、
    和子さんを見ながら、涙の中で、そう感じた。
    和子さんは、その六日後に天に召された。
    しかし、和子さんは、死んだのだろうか。

    半分、青いは、この色身の青だろう。
    私は、身体としての私と向き合い、対話しつつ生きている。
    しかし、本当は、目に見えるものたせけが全てではないのではないだろうか。
    半分と言っているが、もう半分は、心霊としての存在のことなのだと、
    私は、このドラマを深く深く味わうと共に、
    そんな感じになりつつある自分を発見した。

    総体としての私。全部としての私は、色身と心霊としての私なんだ。
    心身一如と、禅の言葉にある。
    その二つは、一如、つまり、一つなんだな。
    その大事なことを忘れたまま生きているのが、人でもあった。
    苦難・苦闘は、この身体があればこそのこと。
    しかし、この身体が消えたら、きっと私の心霊は、ここを離れる。
    身体があっての私自身なんだな。

    すずめちゃんは、その半分を感じている。
    仙吉さんの五平餅を継いで、仙吉さんの夢を叶えたように。
    和子さんの想いを感じ、岐阜犬になってもらって語ってもらったように。
    彼女は、ここからは、その半分である目には見えない何かを信じて、
    生きて行こうとしているはずだ。
    「人生は、苦である」
    しかし、苦であるからこそ、心を訪ねて、その心霊である自分を発見する。

    昨日、Sさんと、その話をずっとしていた。
    「私たちは、死んでもきっと誰かの心の中に生き続けますね」
    「本当は大丈夫だったのに、その事実に気付いていないだけでしたね」
    「身体は7年間ですっかり生まれ変わると聞きました」
    「でも、私は変わらずに私でいられます」
    「その私である私こそ、とてもとても大事な私でした」
    「人は、死ぬまでずっとこの「、」に気付かずに終わるかもしれません」
    「せっかく人として生まれて来たのに、「俺が、俺が」で死んでいきます」
    「でも、仙吉さんや、和子さんのような生き方がありますね」
    「私たちも、そう生きてみたいものですね」だった。

    さてさて、撮り溜めて一気に観ていた「半分、青い」だった。
    でも、一昨日からは、毎日、オンタイムで観ている。
    何だか、どうなっていくのか、気になって、気になってだ。
    こんなに想って、このドラマを観ている人は、まだ居るだろうか。
    この物語は、深い深い意味を教える物語でもある。

    これからも「問い」を持ちつつ、味わいたいと思っている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件