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  • from: クマドンさん

    2018年09月24日 06時42分51秒

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    メメントモリ

    涼しすぎる朝だ。
    夜中は寒くて毛布にくるまって眠っている。
    彼岸だなぁ。
    此岸に私は生きている。
    彼岸とは浄土のことだ。
    苦海の上を小舟でゆさゆさと揺られて生きる。
    昨日、近所のお寺で、ありがたいお話を聴いた。

    仕事が始まってから、確かに朝の生活は一変した。
    まず、行かねばならない時刻ができた。
    遅くなると渋滞があるので、7時には家を出る。
    すると、全てのことがそのために逆算され、
    スケジュールが決まってしまう。
    3時50分起床・読書
    5時ヨガ 6時ゴミ捨て・朝風呂・朝食準備・朝食だな。

    無色無収人の時は違った。
    お終いの時間を設定することは必要なかった。
    エンドレスだ。
    本を読みたかったら、ずっと読んでいる。
    「親父たちよ」を書きたかったら、ずっと書いている。
    朝食後の時間はたっぷりとある。
    よくSさんと電話で話した。

    一日に一つだけ予定を入れる。
    何と無色無収人の時の方が手帳のスケジュールはびっしりだ。
    書き込む隙間も無いほど予定が入っていた。
    それが、出来た。
    逆にその予定を忘れないように注意する必要があった。

    定年になったら、やることがなくなる、何て全く嘘だった。
    やることや、やるべきこと、やりたいことに充ちているからだ。
    私は、「今日は、じっとして休養日にしよう。」
    という日を意識的に作らないと、
    連日なんやかんやと本当に忙しい日々だった。
    まず、身体を動かす。頭では考えない。身体で感ずる。身体で想う。

    「何もやりたいことがない」という、退職まで3年の友人が居る。
    実は、人生は、やりたいことが無いほど寂しいものはないのではなかろうか。
    やりたいことがないということは、日々に生きている喜びがないということだ。
    喜びや楽しさを感じなくて、何のこの苦海の人生であるか。

    御住職が言っていた。
    「死は、全ての人に訪れます」
    「老いること、病になること、死ぬこと。それは誰にでもあることです」
    「だから、その苦を認め。この世は苦海であると悟り」
    「独り独りがその人生をどのように生きるかが」
    「人生を生きるための深い深い問いになりますね」

    本当にそうだった。
    深い問いとは、「独りをいかに生きるか」の阿弥陀様からの問いである。
    では、どうしたらよいのか。
    実は、簡単なことなんだ。
    「日々是好日」これなんじゃないかなぁと、私は暇人の時そう悟った。

    人生って、これからのことではない。
    人生って、ずっと先のことでもない。
    今、ここ、ここで、いったい何を感じ、何を味わい、喜びと平安とをもち、
    ただ、素直に、独り、あるがままを生きること。それだけ。

    だから、「やることがない」では、もったいないんだ。
    深く息をして、今、ここにあるものを感じ、味わう。
    その今、ここの繰り返し、リフレーンとルーテーン。
    至極単純で簡単で当たり前のことを、
    そのまま身体を動かし、楽しみとする。

    そして、ここからは、自分のことを一番後にして、
    少しは人助け、人の為になれる働きをする。
    困っている人を見かけたら、見過ごしにはしない。
    「何かお手伝いしましょうか」と、声をかける。手を携える。

    流しの食器を洗ったら、助かる人が居るはずだ。
    天気が良かったら洗濯機を回して、洗濯物を干す。
    涼しかったら庭に出て、雑草を刈る。
    散らかっていたら片づけをして、掃除機をかける。
    時には、溜まり溜まった物を整理する。断捨離する。

    本当に身体を動かしていると、あっという間に夕方になった。
    それから買い物に出かけ、一杯やる。
    とにかくじっとしていない。身体を動かす。仕事は向こうからやって来る。
    そうすると、わざわざトレーニングセンターに行かなくてもよい。
    日常の家事で充分運動の負荷はある。
    そして、疲れたら早めに床に入り、ぐっすり眠る。

    やりたいことがないのではなく、
    やりなから次々と考え、実行していけばいい。
    そこに、何もこだわらない。
    実に単純でシンプルな生活だ。

    そのまま、死を迎えたとても、それはそれでいいのではないだろうか。
    死なないために生きているのではない。
    メメントモリ。
    死を想いつつ、死を傍に感じつつ、今、ここを、笑顔で生きる。
    明日のことは、誰にも分からない。
    でも、今、ここに、私が生きている。

    だったら、「やりたいこと」等余計なことを思い煩わず、
    ただ、動き、働けばそれでいい。
    その身体は、いつか働かなくなるのであるから、
    今、赦されている自由な身体を、喜びを感じ、感謝しつつ生きること。
    それが、人の「やること」であり、きっと「やりたいこと」なのだと想う。

    まだまだこの苦海を航海する身であれることを幸いと想う。
    「やりたいことがない」等と言って愚痴をこぼし、
    この娑婆の時間を無為に過ごすことこそ、
    阿弥陀様の問いに反する生き方であると、私は感じた。

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