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  • from: クマドンさん

    2018年09月30日 06時04分06秒

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    不思議だなぁを生きている。「半分、青い。」

    不思議を生きている。
    61歳の私は、そのことが確信となっている。
    不思議だなぁ。
    振り返ったら、どうしてこんなことが起こるのかと想うことばかり。
    奇跡は、今、ここに日常に起きる。

    昨日9月29日(土)に磐梯山の隣の猫魔岳に登ることになっていた。
    その数日前に、子どもから、
    「私のおばあちゃん、山小屋やっているよ」と聴かされた。
    私の夢は、その山小屋でワンシーズン働くこと。
    「その山小屋、どこにあるの?」と、問うと、
    「磐梯山だよ」とのこと。
    がーーん。あの山小屋だ。

    私は、急遽山賊の仲間に電話した。
    八方の駐車場から私だけ、単独で磐梯山に行きたいことを告げるためだった。
    ところが向こうからの電話で、
    山賊の山行は中止になったけれど、ご夫婦で磐梯山に登ることにしたとのこと。
    何と言うことだろう。
    「磐梯山が私を呼んでいる」
    本当に不思議だなぁの確信だった。

    二時間をかけて「O小屋」に到着した。
    小屋に入って、主らしい女性に声をかけた。
    「Oさんですか?」63歳だと言う小柄で美しい女性が、「はい」との返事。
    私は、ここに来た目的を彼女に話した。
    すると、ぱっと笑顔になって、「電話で聴いています」と、喜んでくれた。

    それから、なめこ汁を出してもらい、いろいろと語り合った。
    不思議だなぁ。
    私は、山小屋の主と知り合いになり、
    来年の小屋が忙しい頃、ボランティアとして訪ねることを約束した。
    「酒と食事と寝る場所があればいいです」と言ったら。
    「どうぞどうぞ、お願いします」だった。
    夢ってこうして、予想もしない形で叶うものだと、改めて感じた。

    この日は、「半分、青い。」の最終回だった。
    同行のYさんの奥さんは、やっぱりこの朝ドラを観ていた。
    そして、この「半分」の意味を感じ、その不思議を深めていた。
    「目に見える世界だけで、この世界はできてはいない」ということ。
    「死者としての在り方で生きている人たちが居る」ということ。
    「その人たちの声や言葉に励まされて人は生きる」ということ。
    「糸電話で話した相手は、死者であること」
    「死者は、生者の想いの中で蘇り、生き続ける」こと。

    この話を「そうだね」と聴いてくれる人が、ここにも独り居てくれた。
    山頂から降りて、またO小屋に戻った。
    少し風が出て、ぱらぱらと雨粒が笹に落ちていた。
    パラパラと細やかな雨の音。
    「雨の音が美しく聴こえる傘」なんだな。
    私たちは、窓から檜原湖を見下ろし、青く煙る山々を眺めながら、
    「半分、青い。」の話を続けた。

    「生死には、きっと境いはないはず。」
    「あの十時間の大手術の間、私はきっと向こうの世界に行っていた。」
    「全く覚えていないが、はっと目覚めた時、往きかえったと感じた。」
    「助かる確率は、五分五分だった。妻が同意書を書いていた。」
    そしたら、彼女が教えてくれた。
    「作家の人は、難病だったか、
     今でもその病気に苦しみながら書いているそうですよ。」と。
    「ああ、やっぱり、そうだったんたな」と、合点が行った。

    この物語を観て、どれだけの涙を私は流したことだろう。
    朝から、声を出しての号泣だった。
    すずめが、涙をつーっと流す。
    その瞬間、私の魂も感じて、動いて、どうにもならず感極まる。
    和子さんと律の岐阜犬での会話もそうだった。
    裕子の骨箱をしっかりと抱きしめる時もそうだった。
    何だかね。
    すずめも、律も、仙吉さんや、和子さんや、裕子さんに生かされる。

    死者からの言葉は、人を人として生かす言葉だ。
    言葉は、生者たちだけのものでは決してないはず。
    死者は、「おるんよ」とのあの言葉。
    今、ここに、「おってくれる」その確信。
    目に見えるものがある。
    目には見えなくともあるものがある。
    その半分と半分とで、全部なんだな。

    すずめの聴こえない耳は、仙吉さんの声を聴く耳。
    いつか私も、その目には見えない死者となる。
    死者である母。死者である父。死者である大好きだった婆ちゃん。叔母ちゃん。
    死者である山の仲間のOさん、Iさん、Yさん。
    みんなこの胸に生きている。
    そして、今、ここで、私のことを見守ってくれている。
    私は、きっとその声を聴き、言葉を与えられるから、生きられる。

    すずめは、裕子からの言葉を生きる糧として、希望とした。
    死者は、生者に時が熟すると、不思議な機会を使って顕れるものだ。
    きっと、「全部」とは、「不思議だなぁ」と感じて、
    こうして生きている日常なのではないだろうか。
    今、ここで、生かされている、そのことこそ、不思議だなぁなんだな。
    そのことは、「生き死にの境」を経験した人にしか分からないかもだ。

    ラストは、こうだった。
    仙吉さんも、和子さんも、裕子さんも、「ここにおる」んよ。
    「律とずっと一緒に居たい」「死ぬまですずめを守ってあだたい」
    お互いの想いを言葉にして、声で伝えられる律とすずめ。
    そして、静かに、強く抱きしめる2人。
    これは、二人がここで生きているからできる喜び、幸せだ。
    和子さんの声は聴けない。
    どんなに愛していても和子さんを抱きしめることはできない。
    それができるのは、生きている私たちだけだ。

    では、私たちは、そうして生きているだろうか。
    想いを声に出して、人に伝えているだろうか。
    大事な人を抱きしめているだろうか。
    それは、生きている、今、ここでしかできないことなんだ。

    そして、雨の音を聴く。その傘にすずめとかんちゃんと春さんだった。
    ぽつんぽつんと雨の音。
    「マザー」は草原を流れるそよ風だった。
    「この風を、裕子に届けたい」
    「きっとこの風は、裕子にも届いているはず」
    雨の音・そよ風は、何かとの交信であったりするかも。
    その雨や、風は、その訪れを知らせる顕れではないのかな。

    そして、私は、驚いた。
    三人の周りの背景が青い、青い、空になった。
    私は、その瞬間、はっとした。
    遠くの山々は、確かに青く煙っていたではないかと。

    つまり、私は、青を存在する「色」とばかりに想っていた。
    しかし、そうではないのだと、その瞬間分かった気がした。
    「半分、の青」とは、仙吉さんであり、和子さんであり、裕子さんが生きている世界。
    その世界のことではないかと、見方を改めた。
    やっと、あの、「。」の意味がよく分かった。
    あの「。」とは、北川さんの確信であり、言い切りであり、「そうなんだ」なんだ。

    「みんな、半分の青は、あるよ。ここにおるよ。」
    その意味は。きっと生きる死ぬを経験し、
    不思議だなぁを日々生きている人たちには、分かる「。」だ。

    これは、北川さんからの魂のメッセージだった。
    それは、きっと、北川さんが、死者から託された物語だったんだと、
    最終回に涙しながら、私は、
    この物語との出会いを、深く深く不思議だなあと、感じてしばらく黙ったままだった。

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