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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/10/18 05:29:31

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    私の日々の修業とは

    「そうではなくて、本来は、どこまで自分というものを消してゆけるかが
     人生なんだ。自分を消して、自分がなくなれば、当然それは、
     自然とか宇宙の側へ開けてゆくでしよう。」

    「言わば、生きながら死んでいくのが、人の自然なんだ」

    ここに置いてあったメモ帳にその言葉は書いてある。
    誰の言葉だったか、忘れてしまった。
    本を読んで、心に遺った言葉は書き留めて置いている。
    こうしてメモ帳に書き残した言葉たち。

    時々、その言葉たちを読み返す。
    「ああ、そうだった」
    「やっぱり、これでいいんだ」と。
    私は、その言葉と出逢うことで、
    その日からの、その時からの生き方を確認する。

    食べるために生きるのか。
    生きる為に食べるのか。だな。
    身体は、蕎麦やラーメンや牛丼を求めるものだ。
    身体の栄養とは、他の命を頂くことだ。
    そうやってしか、私は生存することはできない宿命がある。

    それでは、精神は、魂は、何を求めているのだろうか。
    身体が命と言う食物を通して栄養を得るように、
    私の精神は、魂としての私は、言葉によってその命を満たしているのだ。

    もし、言葉がなかったら、
    私は、どうやって精神として、魂として生きていけるというのだろうか。
    言葉は、残念ながら、人の中には存在していなかった。
    確かに、希に、言葉の顕れとしての人に出会うこともある。
    私のマスターたちのようにして、その存在感でそれを啓示する人もいる。
    でも、それは希な出会いである。

    私は、人の中で、「自分」の中で、「我」の中で生かされている。
    だから、時々、人と言う生きている者が情けなくも想われる。
    みんな、「自分」が大事で、「自分」のことばかりで、
    「他者」にたいする配慮や、心遣いや、赦しや、優しさがなくなっているのだ。

    私は、いつもそのことを自戒している。
    「このことは、私の我儘から出たことか。それともも無私から出たことか」と。
    そんな問いを持ちながら、生きていることを意識している。
    「私のため」では、私がきっと他人の眼を気にしての行為なんだと私は想う。

    「やむにやまれず」「やっぱりそうだよなぁ」と、
    私を超えた何かに促され、私のことを忘れ、
    目の前のその人、その子に成り切って、共感する時、
    その時に発する言葉は、私を超えたところからやって来てくれる言葉だった。
    そして、その言葉だけが、
    その哀しみや、孤独や、切なさ辛さや、やりきれなさを救ってやれる言葉となる。

    それは、お腹が空いた身体からは、力を期待できないように、
    弱った精神や魂からは、生きようとする力を期待できないからだ。
    だから、身体の栄養を考える以上に、
    本当は、人は、精神・魂の栄養であり糧である「言葉」を食しなくてはならぬのだ。

    私は、絶望のどん底から、先人たちの遺してくれたその言葉によって救われた。
    そのどん底に居た時、微かに現れた光明は、この言葉たちだった。

    だから、その言葉を食べたのなら、
    その言葉は、私の血や肉となっているはずである。
    そして、その言葉を宿した者の生き方としては、
    冒頭の言葉のようにして、「無私」を生きることなんだな。

    自分を消す。本当に、私は、そうしたいと心から願っている。
    少しでも、ほんの僅かでも、その隙間にでも「自分」が入っていたら、
    それは、きっと自然ではなくなってしまうからだ。
    「自然と語り合えるのは、自然が無我であるからだ」とは、誰かの教えだ。

    無我の人が傍に居てくれたら、
    どんなに懐かしく、安心で、気楽で、楽しいことだと私は想う。
    だから、私が、そんな人になればいいんだ。

    そんな人になるために、この世に生まれて来たんだから。
    そんな人に、なるだけで、それだけで生きている「意味」があるんだと、
    私と私と私と私とのぶつかり合いや、醜さを見るにつけて、
    何だか人って一体どっちの方向を目指して生きているのか、
    私には、分からなくなってしまっている。

    だから、今は、人を見ない。
    他人の評価なんか、どうでもいいと思っている。
    人には、頼らない。期待しない。
    そして、ただ独り。その独りを生きている。
    ただ、それだけが私の日々の修業である。

    そうすれば、いつか私も自然や宇宙になれる気がするからだ。

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