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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/10/21 06:10:49

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    ヨガマスターが、踊った

    踊るってて楽しんだなぁ。
    私は、我がヨガマスターの踊りを観ながら、
    一緒に身体そのものの動きを楽しんでいる自分を発見した。

    手足の動き、身体の動き。
    それをどのように言葉で説明したらよいのか、
    全く分かっていない私である。
    しかし、その一つ一つの予想外な、
    こうきましたかの動きやテンポやリズムや間には、
    何だかはまってしまう、私だった。

    踊りを言葉で顕そうとするから無理がある。
    葉っぱの色を言葉では顕せないように、
    風の音を言葉では顕せないように、
    踊りとは、踊りそのものの言葉・顕れなんだと感じた。

    だから、その身体の動きをそのまま、
    私も同じ踊りを踊っているようにシンクロさせて、
    ただ、楽しめばいい。それが楽しい。
    「プレイ」という舞踏を観た時、それを感じた。
    踊っている人が居る。
    それを楽しく味わっている私が居る。
    その関係性であり、空間性であり、一体感でもある。

    やっぱり全てのことは、間接的ではなく、直接的であらねばならない。
    ここで、あの蔵で、あの冷たい板を感じながら、
    あのマスターの表情と仕草と立ち居振る舞いそのままを感じることこそ、
    大事なことなんだと、改めて感じた。
    時間の流れの中に、生まれては消え、消えては生まれる。
    その流れがとても心地よい。

    観念ではなく、強い意志でもなく、図った意図でもない。
    想いそのものを、無言で、身体で、動きだけで、顕わにする。
    その気持ちよさを、潔さを、素直さを、露わさを、
    何だか楽しんでいる時間となった。

    インドなんだなぁと、群衆から感じさせられた。
    そして、私たちはその貧しさや、哀しさや、孤独さに、
    何を、どのようにして、どうしたら、手を差し伸べられるかだ。
    しかし、独りの少女を救ったとしても、
    救われなかった少女は、この世界には無数に存在する。
    また、着物を着せ、お金を恵んでも、それが何なのだと言うことだ。
    この少女の救いとは、この少女の幸福とは何か。

    しかし、私は、どうなのか。
    私は、この少女を救う人となり得るのか。
    私は、私を救っているのか。
    私は、私として幸せなのか。

    深い問いから、踊りは新たな展開を魅せることになる。
    マスターの独舞だ。
    これが、いかった。
    それは、踊りを宿した女だからの踊りそのもの。
    踊るのではなく、踊りに身体が操られ、動かされ、自由自在にされている。
    女はそこには居なくなり、
    踊りたいと言う何か大いなる顕れだけが姿を顕す。

    踊りを呼吸する。
    踊りの鼓動だ。
    身体は委ねられ、脱力しながら、凛とした筋肉だ。
    私がまみえたものとは、きっと私の中に眠っているものなんだろうな。
    そんな私の私を、マスターは明かす。明らかにする。姿にする。動きにする。

    踊りとは、きっとこの私の中の私に、
    姿・形・動き・呼吸・衝動・響き・囁き・瞬き・沈黙・・・・を露わにすること。
    見えなかったものを、今、ここに、見えるものとすること。
    言葉にもならず、気付きもしていなかった想いを、
    全身で感じ取り、それをやむにやまれぬ衝動に突き動かされて、
    動き始めるということ。
    動き出すということ。
    動かざるを得ないということ。

    今、突然ムクドリの大群が、彷徨の空から飛来した。
    向こうの電線に何千羽だ。
    ムクドリの黒い点々がずっとずっと連なっている。
    その衝動だな。
    ムクドリは、やむにやまれず群れて。飛ぶ。
    それって、きっと、向こうから滾り起こった衝動そのもの。
    ムクドリは、無であり、それでも、何千羽と群れて、鳴き続ける。

    露わになるとは、このムクドリであるということではないだろうか。

    それに委ねることを、人は、恐れる。
    だから、きっとそれに気づかないようにして日常を生きる。
    踊りは、そこには存在しない。
    何故ならば、その踊りを踊りに化するはたらきが、そこにはないからだ。
    ムクドリは、そのはたらきに忠実に生かされている。
    今、突然、さえずりが大音声となった。
    それは、突き動かしているはたらきの変化であり、要請であったりする。

    私が深く尊敬するヨガマスターは、
    人として、そのはたらきの顕れとなる。
    そのことが本当に凄く、刺激的で、
    私の中の私のはたらきを起動させる起爆装置になっている。

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