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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018年11月19日 05時37分44秒

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    信仰をもつということとは

    不思議だなぁと、昨日も想った。
    教会に行き、いつもの一番後ろの席に座ったら、
    牧師さんの夫人が来て、
    「隣の人は、今日、初めての教会だから、クマさんお願いします」だった。
    そう言われて隣を見ると、
    純粋に真面目に生きて来たという、そのものの青年が座っていた。
    私は、聖歌のページや、聖書のページを教え、
    これから行われることの流れを説明した。

    いつものようにでかい声で聖歌を歌った。
    これは、下川先生から与えられた賜物でもあった。
    私が歌を歌うようになったのは、
    こうして教会に通うようになったからだ。
    そして、讃美は喜びをもってしなさいは、下川先生の教えだった。
    歌を歌う人ではなかった私が、
    合唱団に入って歌う人となったのも、クリスチャンになったおかげだった。

    聖餐式があった。
    パンと葡萄酒をいただく。
    それは、キリストの身体と血であると教えられてきた。
    その意味が、やっと昨日分かった気がした。
    同じものを食べ、同じものを飲む。
    そのことでみなは一つになるではないかだった。
    そして、その元はイエス様である。
    そうなんだな。
    この聖餐によって、私たちは一つになれる。
    それが、私たちをお互いに兄弟・姉妹と呼ぶゆえんだった。

    信仰は恵みである。
    まさか、こんなどうにもならない私が洗礼を受けるとは。
    それは、25歳だったか、下川先生に出会ったからだった。
    もし、あの時、新潟福音教会に下川先生が居なかったら、
    このどうにもならない私は、洗礼を受けなかったと想う。
    先生は、この私を丸ごと認めてくれた。
    そして、傍に居てくれた。
    何よりも私のことを見捨てず、信じてくれた。
    これが、キリストの愛だったんだな。

    私が洗礼を受ける朝。
    母は、寂しそうに、辛そうに、私のことを玄関で見送った。
    そして、私は、26歳で洗礼を受けた。
    それは、師である下川先生が東京の聖書学園の校長として赴任するからだった。
    下川先生によって洗礼を受けたい。
    人生には、ここぞという時が何度か来るものだ。
    しかし、それは、私が選んだことではなく、
    やっぱり神様が選んでくれた時と場所であったことを、信じている。

    私は、当時はまで煙草を吸っていた。
    酒を飲んでも居た。
    クリスチャンの中に居ると恥ずかしい私であったが、
    下川先生は、私に夕礼拝の司会をさせた。
    何だかね。その時その場所で、私は用いられる。
    結婚した。村上に転居した。そして、教会をいつしか離れた。
    それから、30年間以上、音信不通だった。
    教会員の駒澤さんは、祈ってくれた。年賀状をいつもくれた。

    そして、私は・・・・。
    こうして30年ぶりに教会に戻った。
    そして、歌を歌った。礼拝の司会をした。
    信仰はここにある。
    深く深く信じている。
    それは、私のこれまでの人生が証している。
    そうではないとは、決して考えられない。
    そうであるから、今は、何だかとても平安だ。

    イエス様になる。
    そう牧師さんが教えてくれた。
    その生き方を、日々生きることだ。
    そんなことを振り返っていた。
    そして、隣には、あの当時の私が居た。

    「どうして、この山の下福音教会を知ったのですか」と訊いた。
    「大学の先生が教えてくれました」とは彼。
    彼もきっとあの頃の私のように生きるの悩みを抱えているのだと感じた。
    ああ、彼は、私だなぁと感じた。
    その彼が、私のようにして信仰をもち、洗礼を受けれるかどうかは、
    神様のみが知ることだった。
    しかし、彼は、あの当時の私のように求めていた。

    彼は、洗礼を受ける人となれるか。
    それは、神様のただ御心によるものだった。

    私は、彼によっていかに信仰を持てることは奇跡であるか、
    そのことを教えられた気がした。

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