新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2018年11月20日 05時09分41秒

    icon

    魂で生きること

    老いることは、孤独なのか。
    人は、必ず歳をとり、身体の衰えを感ずるものだ。
    去年できたことが、出来なくなったり、
    何だか意欲が薄れたり、
    身体が不自由になり、家事に時間がかかったりだな。

    みんなそこを経て行かねばならなかった。
    その内に家に閉じこもって、誰とも会わない生活になったりもする。
    まだ家族と一緒に暮らせるのならいい。
    お互いに声をかけ、助け合って生きれるからだ。
    しかし、独居の場合はどうだろう。

    何だかそんな境遇になっている人たちを想うと、
    身につまされる気がする。
    人は、歳をとることは確かである。
    そして、身体がどんどん衰えることも確かだ。
    免疫力や体力が落ちることで、病になることも当たり前。
    一病息災とはよく言ったもので、
    そんな身体を養生しながら生きることだ。

    さてさて、私が気にしいることは、身体のこともあるが、
    もっともっと気になっていることは、
    魂のことだった。
    つまり、人は、どう生きるべきかの問いだった。

    「人は、この世に用事を与えられて、生まれた来た」と誰かの言葉だ。
    私は、その言葉を聴いてから、
    私の「用事」とはいったい何だろうと想い続けている。
    その用事を果たすことが、この世に生まれた私の使命だ。
    そして、その用事とは、きっと私自身のことではなく、
    他の人たち、隣人の人たちのことではないかとも感じている。
    つまり、「自分のことは勘定にいれず」だった。

    自分はまだこちらに居る。
    他の人たちがみんな渡り終わったら、自分の番だ。
    自未得渡 先渡他 だな。
    そこにしか「善き道」は存在しない。
    「生きるとは、魂の世話をすること」と、ソクラテスが言っている。
    そうだなぁと、歳をとってからはよく想う。
    「もはや自分が生きていると想うな」でもある。
    その覚悟ができたら、
    きっと与えられた「用事」を果たせるのではないだろうか。

    つまり、何を言いたいかと言うと、
    自分のことばかりで生きている人とは、
    老いてからきっと孤独な人生を歩まねばならないだろうということだ。
    自分のことよりか、人の幸せを考え、行動できる人や、
    人の痛みや苦しみを感じて、そっと手助けできる人は、
    何だか心に灯がともり、孤独を味わうこともないと想われる。

    私は、人の中に居ると、孤独を感ずる。
    けれど、こうして「魂」のことを想い、
    その魂との対話。
    その問いに素直に従おうとするとき、
    不思議と独りぼっちでも心穏やかに、落ち着いている。

    あの病室のベッドの上でもそうだった。
    私は、身体が全く動かせない状態でも、
    孤独を感ずることは、少なかった。
    それは、いつもこうして私に対して問いかけてくれる存在があるからだ。

    「絶対なものと我らの一生の生活とぶっつづけになることが、
     人間に一番大事なことではないか」

    用事とは、大事なことなんだ。

    「人事じゃねぇ。俺の事だ」

    身体が老いて、衰えても、魂で生きることだな。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件