新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2018年11月21日 05時13分45秒

    icon

    老いの覚悟とは

    メメント・モリ・・・死を想う

    歳をとって感ずることは、いつか必ず死が来るということだ。
    またまだ61歳、これからこれからとは想っている。
    しかし、死とは予告なしに、不意に現れるものだ。
    ある日、突然、死の宣告を受ける場合もある。
    突然死の可能性も皆無ではない。
    いつも車を走らせながら、事故にあったらと想うこともある。
    死は、本当はとてもとても身近に存在している。

    それでは、いつ死んでもいいように準備しているか。
    いつ死が訪れても、大丈夫な心構えであるか。
    死がやって来た時に、生きて来たことを感謝して死へ迎えるか。
    誰かが言っていた。
    「まだ死ぬという大仕事が残されている」と。

    後期高齢者と呼ばれるお年寄りに会う機会が多い私。
    その度に、その独り独りのその人生を想うことが多い。
    独り暮らしの80代の男性は、いったいどんな人生を歩んで来たのだろうか。
    同じく旦那さんが施設に入った70代後半の女性は、
    独りぼっちでどんな気持ちで毎日を生活しているのか。
    語らないが、独り独りの何だか孤独な気持ちが感じられる。

    いずれ私も行く道だ。
    みんなが老いる。
    みんなが自然に衰える。
    そして、みんなが死をいつかは迎える。
    その自然な姿にただ従って、生きられたら、
    それでいいのではないだろうか。

    自然に在ることは、私にも在ることだ。
    私における自然とは、この身体のことである。
    この身体から語られる言葉一つ一つを確かに読み解いていく。
    小さな変化に対しても敏感に反応して行く。
    身体は無言の言葉を通して、サインを私に送っている。
    私の身体でありながらも、
    その身体とは私から独立して、
    身体は、身体として日々を生きている。

    不思議だなぁと、想って身体と共に生活している。
    そんな感覚をもって生活している人は、少ないだろう。
    でも、身体を想うと、人も自然なんだと自然に想える。
    私は、自然から学んできた。
    ならば、私である自然そのものに、
    私は、もっと学ばねばならないような気がしている。

    それは、まさに、自然との対話。身体との対話だ。
    死とは、身体としてのいのちの終わりだ。
    この身体とのお別れにしか過ぎない。
    私は、魂という自然そのものの存在を信じている。
    死を迎えるということは、
    親からいただいたこの身体と、心を返すこと。

    きっとただこうして考えながら、
    それがそうなんだと、了解する正しさ・善さ・美しさ。
    そのものである魂としての私に還ること。

    何だろうかね。
    余計なことを考えて、迷い、悩み、苦しむことはない。
    孤独であることで、やっと了解できることがある。
    その老いて、衰え、死に向かう身体を慈しむ。
    そして、ただ魂の声・言葉だけを聴いて生きる。

    そんな生き方が、老いの本来の生き方ではないだろうか。
    私は、そんな生き方に達観した人に、会いたいと願っている。
    きっと誰かは、こんな覚悟で生きているはずだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件