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  • from: クマドンさん

    2018年12月13日 05時25分53秒

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    さてさて、考えてみよう

    どうにもならないことが、自然なことだな。
    そのどうにもならないことを、何とかしようとするからストレスを感ずる。
    そのどうにもならないことを、どうにもならないと認める。
    それを、諦めると言う。
    諦めることを、人は、よくは言わない。
    そんなことでどうするんだ。
    どうして努力をしないのだ。と。

    しかし、努力はちゃんとしているんだな。
    ただ、そう批判する人が努力と感ずる程度ではなく、
    そこそこに、少しずつ、時々、知られぬ程度に、努力はしている。
    でも、そのことはあまり人には認められない。
    だから、諦める。

    諦めるは、いいことだ。
    諦めるから、力が抜ける。
    諦めるから、過度な期待はしない。
    諦めるから、直ぐに変われとは絶対に言わない。
    もし、どうにもならないことに出会ったら、
    それは仕方ないことと、距離を置く。腹を立てない。感情をぶらさない。

    そして、きっと何とかなるよと、まず手放してみる。
    任せてみる。委ねてみる。時間をかけて待ってみる。
    そうやってきたから、今の私があるのかもしれないと、ふと想った。

    身体がずっとずっとこの調子だ。
    どこへ戻せば、どんな状況に戻れば健康だと言えるのか、
    そんなことすっかり忘れたまま、こうして生きている。
    突然背中の健康骨辺りに激痛が走ったり、
    夕方になると目が霞んだり、
    早朝目覚めると胃がむかむかして吐きそうになったりする。
    それでは、そうではない状況の事を健康体と言うのだろうか。

    でも、実は、そうではないような気がする。
    全てのものは変化する。
    全てのものはコントロールできないものだ。
    この身体すらそうだった。
    身体で自分がコントロールできるのは、息をすることくらいだそうだ。
    その状況や在り方については、確かに身体まかせのまま。

    それでは、自分の意識を自由自在にできるかと言うと、
    これもまたそうではないのが現状だ。
    意識は、時に、感情に左右され、支配される。
    同じ状況と関係性にありながらも、
    感情がぶれたり、不快であったりするだけで、意識は暗いものと化してしまう。
    身体の状態でもそうだった。
    熱が在る。吐き気がある。疲労感が半端ない。
    やっぱり、気持ちはぐっと萎える。
    これも努力ではどうにもならないことなんだな。

    その活動能力が高めるものを、善と呼ぶ。
    その活動能力が減少させるものを、悪と呼ぶ。
    つまり、その人が善く生きるためには、
    その活動能力を促進する環境や関係性が必要なのである。

    そして、全てのものは、完全を目指し、
    その存在を維持しようとする力を持っている。
    その力を、「コナトゥス」と呼ぶ。
    この力そのものを信じよう。
    この私も、神によって創られたもの。
    この私も全てのものも、神の顕れ。

    ただ、その置かれている状況によって、
    その完全性を目指している自然なる力は、
    発揮されないことも、減少されることも、弱ってしまうこともある。
    人とは、いつもただこんな状況に置かれている存在だ。

    ただ、その置かれている状況をどのように理解しているかの問題だ。
    例えば、同じ状況を私は、諦める。
    しかし、ある人は何とかしようと努力する。
    ただ、どちらが平安であるかと言うと、きっと諦めた私の方だろう。
    「受動的な感情に巻き込まれない」ことが肝要なんだな。
    そして、そうした沸き起こる勝手な感情に巻き込まれず、
    その感情を分析し、認識することで、
    人は、その受動的なる感情から逃れることができる。とのこと。

    スピノザの「エチカ」だそうだ。
    全くよくは分かっていないが、
    歳をとったことによって、
    「任す」と「委ねる」と「諦める」は、
    この不完全なものを、少しでも完全なものに近づけるために、
    それは必要な生き方なのではないかという提案だった。

    「それ自体には、善悪はない」

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