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  • from: クマドンさん

    2018年12月19日 05時36分27秒

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    夜中の気付き

    夜中に何度か目が覚める。
    それはそうだ。
    10時には眠っているからだ。
    1時半だった。
    目覚まし時計をみて、それからトイレに行った。
    次に落ちたら、2時15分だった。
    そのままじっとしていることにした。

    天井をバイクのライトが光り、
    エンジンの音と共に、斜めに流れて消えて行く。
    遠くで鐘とサイレンの音。どこかで火事が起きたらしい。
    私は、そのままじっと動かない。
    こんな時は、「生きるとは、何か」を考えている。

    若い頃は、夜中に目覚めると、今日の仕事のためにと、焦ったものだ。
    寝不足は身体に堪えるからと、無理に眠ろうと努力した。
    しかし、あの長期の入院生活以来、
    私は、夜中に目覚めても、焦らなくなった。
    「ああ、生きるとは何かを、考えてみるか」と、思うだけ。

    それから、夢か現か幻か。
    今、私の精神はどこに居るのか分からないまま、
    その境を超えたり、戻ったりしているらしい。
    その内に、夢を生きている私になっている。
    夢とは、実にリアルなものだと、いつもいつも感心している。
    その設定・その展開・その登場人物・その奇想天外な物語。
    全てが現の私には想像もつかないものなのに、
    それがあたかも既にあったもののようにして、
    細部まで鮮明に「生きる」の舞台となっている。

    その光景や登場人物やその背景やその物語の転換は、
    いったい誰が創造しているのだろうか。
    それなのに、目が覚めた途端、全てが消える。
    「生きると死ぬ」の境とは、
    こういうことでしかすぎないのではないかなあ。

    臨終の私が居る。
    だんだん息が弱くなっていく。
    吐く息が弱く長く。その後、暫くは呼吸が止まる。
    あっと、見守る人が思っている時、
    またぐっと息を吸いこむ。
    血圧は徐々に弱り、心拍数も減って行く。
    痛みは無い。まさに、この夜中の夢と現の私なんだ。

    そこで、私はきっと夢の世界を旅しているはずだ。
    私が、麻酔で眠り、10時間の大手術の間、
    私は、きっとそうした臨終の状態だったと思う。
    その時は、きっと誰かと会い、誰かと話し、誰かと一緒に行動していたはず。
    その夢の中の物語を生きいる。

    もし、あの時、手術が手遅れで、
    医師たちの懸命な処置でも、
    私が蘇生することがなかったとしたら、
    きっと私は、自分がこの身体から離脱して、
    自由自在な精神・魂だけになったことすら分からないまま、
    きっとその物語を生き続けていたのではないかと、
    そんなことを夜中に薄っすらとした意識の中で思っていた。

    人を殺した人。自殺した人。
    その人たちは分かっているのだろうか。
    人は、死んでからも生きているということを。
    そして、そうした精神・魂だけになった時、
    いくら後悔しても、いくら懺悔しても、決して元には戻らないのだと、
    そんな大事なことを知っていて、そうしてしまったのだろうかと、
    何だかその人たちの立場になってみると、
    こんなに怖ろしい罰はないのではないかと、ぞっとした。

    つまり、夢と現とはひとつながりであること。
    現生と冥界とは地続きであること。
    それは、一つのそれぞれであり、それぞれの一つであること。
    顕れ方の違いだけで、精神・魂だけの存在としては、同じであること。
    そこを、実は、人はこうして眠りを通して行ったり来たりしていること。
    しかし、まだ生きているから、この世にこの身体があるから、
    きっと目覚めるとは、この世に戻って生きるというだけのこと。

    本当は、ただそれだけのことではないのかと、
    眠られない夜中の考えていた。
    そして、その内に、いつの間にか夢の世界を旅している。

    精神・魂だけの私。
    その私とは、透明な存在である。
    透明であるということは、全体で在り、個体ではない。
    だから透明な全てとしての私があるだけ。

    ところが、この世に生まれるということは、
    個体としての私であるということ。
    精神・魂だけの私に個としての身体が与えられる。
    それは、ただ恵みである。
    透明であった私を光は通り抜ける。何の妨げにもならない。
    だから、あのバイクのライトは、天井に映る。

    しかし、そのライトと天井の途中に、
    個としての私が居たとしたら、
    その光を私が遮り、天井には私の影が映される。

    そうか、まだ影を映すうちは、この世に生きていると言えるんだ。
    もし、私の影が映らなくなったとしたら、
    きっとその時から私は向こうの世界で生きるものとなったと言える。
    生きると死ぬとは、ただそれだけのこと。

    人は、死なない。いなくはならない。
    その在り方を変えただけ。
    この精神・魂だけの私は、きっと私が意識できなくても、
    これだとは言えなくても、生き続けるのだと、私は想う。

    そんなことをずっと考えていたら、3時半。
    もう起きて読書する時刻になった。

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