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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/12/27 10:39:54

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    この世のものではないものを

    この世のものならず。
    本当に舞台とは、そういうものなんだな。
    徳永兄弟のフラメンコだった。
    本当にすごい兄弟だ。
    そのギターの音には、生命が躍動している。
    想いと魂と音とが一体だ。
    ぐんぐんとその独自の世界に惹きこまれて行った。

    そして、第二部のフラメンコだ。
    何とも言葉では表現のしようがない。
    惹きこまれる。
    その人となる。
    私はその踊り手の踊りそのものとなっていた。

    その瞬間なんだな。
    この世のものではない、そんな霊魂が降って来るのは。
    いつの間にか、踊っているのは、彼でも、彼女でもない。
    その踊りそのものが生命を滾らせて、踊る。踊る。踊る。
    踊ると言うのではなく、魂に操られ、突き動かされている姿だ。
    踊ると云う在り方は、
    こっちの世界から、あっちの世界に一気に連れ去って行くものだ。

    心酔する。
    没我となる。
    夢中になる。

    そして、感じられたものは、まるで能の舞のような幽玄さ。
    あんなに激しく、情念を燃やしての踊りでも、
    そこには、何かそこはかとない悲しみや無常感が感じられる。
    生きることの哀しみと辛さ痛み苦しみ。
    でも、それだからこその生きることの束の間の喜びに燃える。
    燃え尽きる。

    舞台で舞うその踊りに、私は私自身を感じていた。
    これは、私なんだなとの発見だった。
    その踊り手に降りたその霊魂は、
    きっと私にも在る霊魂なのだとも想った。
    だから、踊り手は、私なんだ。

    あっと言う間の、奇跡の2時間だった。
    これがあるから、コンサートは辞められなんだな。
    いくらビデオでこれを観ても、
    その感動は絶対に伝わらない。
    感動とは、空気感だからだ。
    その呼吸・息遣い・眼差し・手の動き・身体の変化・そして間合。
    それは、その場で同時に感じた人にしか伝わらない表現である。
    そこに惹きこまれる。我を忘れる。

    そんな舞台を、私も創りたくなった。

    この世の者とのお付き合いには、
    何だかとても生き辛さを感じている昨今だ。
    みなめいめいが好き勝手なことを言う。
    そして、いつも自分だけが正しい人だったりする。
    いい加減な私は、そうした人からはけちょんけちょんに批判される。
    仕方ないなぁと、諦めてもいる。

    この世の人は、考え方の違いを認めない。
    どうして自分が思う通りにしないのか、考えないのかだ。
    多様であることは、許されることではなかった。
    だから、疲れる。
    私のようないい加減な人間は、
    この世の者とのお付き合いには疲れて、傷つく。

    あの世の人は、とてもでかくて大きく豊かな人だ。
    そこには、俺が、俺がではなく、
    真実の知恵が在り、慈悲が在る。
    人のことを批判するのではなく、
    その人がその人らしく生きることへの寛容がある。

    舞台には、その人が顕れる。
    あの世から、その人が降りて来て、顕わとなる。
    だから、きっと涙が溢れる。
    その深い深い優しさと、愛と慈悲とに感動し、涙を流す。

    確かに、この世では腹の立つことが多すぎるかもだ。
    みんなめいめい身勝手なことを言っている。
    寛容どころか、不寛容であり、否定的でもある。
    批判や批難は、こりごりだ。
    隣人には、優しさでありたいし、優しさとだけ出会いたいものだ。
    そんな夢は、一体どこに存在するか・・・。

    それは、やっぱり「物語」の中なんだな。
    「まんぷく」を観ていて、思わず泣けることが多い。
    それは、万平さんとふくちゃんの優しさであり、魂に感動するからだ。
    こんな人は、いるのだろうかと、思うくらいの純粋な2人。
    その人たちは、物語だから生きている。

    そうなんだな。
    物語でしか、真実を描けないんだ。
    それは、舞台も同じこと。
    あの舞を舞った彼も、彼女も、
    今はこの世の人として、この世の役割を果たしつつ、
    その日の生活をいつものように熟すだけだ。

    私は、時に、その「物語」の独りとなり、カタルシスする。
    改めて、本当のものとは何か。いかに人は生きるべきかに気付く。
    舞台も同じだ。
    深くに隠されて自らが気付いていない情念と同化する。
    没我の中で、私はその舞う魂と一体となる。
    そこで、私は、魂である私を感ずる。

    この世とは、それだけのもの。
    私は、そこで日々をこの世の人として生きながら、
    あちらの世界の魂に憧れを抱いている。
    この世との関係が薄くなるに従い、
    魂そのものでの生き方が、少しずつ顕わになり、濃くなっていく気がする。
    私は、きっとこの世とあの世との狭間に生きている者。

    しかし、人は、この世の人である。
    その違いなのかなぁと、この世で生きる私は、寂しさと辛さとを感じている。
    きっとあの世には、これがないと信じている。

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