新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2018年12月31日 07時18分34秒

    icon

    西郷どんだなあ

    昨日は、「西郷どん」で、午後から泣いたな。
    今は、そんな自分をそのまんまにしている。
    感動して涙する私。
    その私の発見と気付き。
    これは、不思議だなぁの世界だと腑に落ちている。

    私が意図しての涙ではない。
    自然と溢れ、流れる涙だ。
    その涙の温かさに、確かに心が洗われる気がする。
    在るものがその涙によって浄化される。
    そして、涙する私を感ずる。
    その私を信ずる。
    そう生きようとする私を、私はそのまま生かさねばと感ずる。

    何度も何度もどん底を味わった男だ。
    死からの生還をした男だ。
    彼は、そこで何かを捨てる。何かを奪われる。
    裸にされる。自らの弱さと向き合わされる。
    絶望する。死すら想う。

    しかし、その時、天からの救いが降りてくる。
    彼の命の使い道が、向こうからやって来る。
    彼は、正に天から選ばれた男だ。
    天は、その道をこの世に顕わにするためには、
    その顕わにする人を必要とする。
    それが、きっと彼なのだと思う。

    西郷さんの生き様は、
    そうした天から与えられた道を歩かせれた人の道だ。
    そして、最後には京で錦の御旗を立て、
    官軍として討幕の兵を出す。
    慶喜を殺すための軍隊でもある。
    彼は、戦いの鬼となり、この国を戦乱に巻き込んだ。

    戦いに正義はない。
    大義名分は、勝った側が勝手に作った作り事。
    北越戊辰戦争・会津戦争・庄内戦争・秋田戦争。
    みなこの薩摩と長州が勝手に起こした戦争だった。
    そのために、多くの村が焼かれ、多くの民、百姓が犠牲となり、
    略奪され、徴兵され、強制労働をさせられ、
    自らの故郷から遠く遠く越後や東北の地で果てた若く幼い武士たちが居る。

    江戸城無血開城。
    慶喜蟄居。
    幕府は負けを認め、許しをこうているのに、
    その想いを無視して、一気に攻め上り、勝手に殺戮を繰り返したのも、
    この官軍の仕業だった。

    実は、「西郷どん」では、
    松ヶ崎の西郷さんとこの北越・東北戊辰戦争は描かれていない。
    ほんの数分の出来事としか描かれていない。
    それは、この物語での西郷さんを美化するためなのだろうかと、
    私には、不思議でならない。

    彼は、最期は「西南戦争」だった。
    明治政府によって攻撃され、多くの武士たちと共にこの世を去って行った。
    それでは、天が与えた彼への使命とはいったい何だったのか。
    そのことを明らかにするためには、
    この戊辰戦争を、越後から、会津から、庄内から、盛岡から、
    再びしっかりと見直す必要があると、私は考えている。

    この薩摩と長州の武士たちが創った明治政府は、
    日本を富国強兵という大義名分の元に、
    世界戦争に駆り立てて行った。
    日清・日露・満州事変・日中戦争・太平洋戦争。
    これは、正にこの戊辰戦争の薩摩と長州が行った蛮行そのものの続きだった。

    つまり、従わない者は、武力で征伐する。
    その大義名分には、東北蔑視の考え「一山三文」が存在していた。
    その蔑視する想いから、他国への侵略を続けた。のではないだろうか。

    戦争で、大義名分を自ら創作し、他国を武力で侵略し、利益を得て行く。
    その考え方はこの戊辰戦争から始まっているのではないだろうか。
    戊辰戦争の中での長岡藩や会津藩、荘内藩、南部藩の無念と憤りとを、
    やっぱり日本の歴史家たちは描くことができないのかと、
    残念な想いがする。

    私は、西郷さんが大好きだ。心から尊敬をしている。
    しかし、この戊辰戦争と云う内乱から始まったこの新しい日本は、
    その後は、どんどんと「坂の上の雲」を目指して戦争へと突き進む。
    それでしかなかったのか。
    その道しか本当に無かったのか。
    それは、時代の求める道であったとは想うが、
    戊辰戦争を通して、その歴史を見直す必要があるのではないかと、
    私は思っている。

    西郷さんの生き方には涙するが。
    私は、大久保・山縣・大山等の明治政府を創った人たちの生き方には、
    涙できない。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件