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  • from: クマドンさん

    2019年01月13日 09時41分55秒

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    ずっとずっとあり続ける魂

    昨日は、あき乃の蕎麦が売り切れだった。
    残念。
    勤めるようになってからは、土曜日しか食べに行けない。
    また、先週のように予定がある日も食べられない。
    本当に、蕎麦を食べられる日は、贅沢な日となっている。

    四時から、友と飲んだ。
    友と言うよりか、人生の先輩である。
    四時からやっている居酒屋も少ないが、
    やっぱり歳をとると、明るいうちに飲むに限ると考える。

    話は、子供のことでもあった。
    施設であり、学校であり、
    そこで子供が育ち、成長するために、
    大人は、何をしたらいいのかの話だった。

    お互いに一度退職してからの再雇用だった。
    現場でずっとずっと勤めて来た後に、
    その現場への復職も同じだった。
    また、管理職の道を選ばす、現役のままで退職を迎えた。
    それが、とてもとてもよかったと、合点だった。

    管理職は、実は、実は、とてもとても疲弊している。
    その責任の重圧だ。
    そして、その名前の通り、ただの管理者に過ぎない仕事。
    それでも、まだ新たな風を吹き込み、
    組織を改革し、働く私たちのやる気と使命感とを育てるならまだ許せる。
    「あれもするな」「これもするな」「じっとしていろ」と言われたら、
    やっぱり出る釘の人たちは、淘汰されて行く。

    管理職で例えば10年間働いたとする。
    その人は、私たちのように現場の最前線に戻れるものだろうか。
    きっと現場の感覚を失い、この現場には立てないのではないか。
    そんなことも語り合った。
    つまり、私たちがこうして現場に戻れたのは、
    その現場の感覚を持ち続けてこれたからだということだった。
    給料は安くとも、現場を全うできたことは幸いだった。

    次に、「問い」の話だった。
    変わるのは、子どもか大人なのかの話だ。
    私たちは、子供たちによくよく「変わりなさい」と言う。
    それは、「成長するためなのだから」と教えるためだ。
    ところが、私たちが現場で気付いたことは、反対のことだった。
    変わらねばならないのは、私たち大人の方だ。
    問いを持ち続けるのは、私たち自身なんだということだった。

    つまり、私たちが大人として、その子の気持ちを深く理解し、
    その子のことを尊敬し、大事にすることで、
    やっとその子は、出会った私たち大人へ心を開くということだった。
    だから、まず、変わらねばならないのは、私なんだ。
    そうやって、待つことで。
    そうやって、自問自答しながら、私自身が変わることで、
    その子どもに対する私の愛情や本気が伝わって行く。
    これは、彼も実感している事実だった。

    私も、彼も、そうやって生きて来た。
    すると、子供たちに真摯に向き合うことで、
    成長できたのは、他ならない自分自身だったと悟った。
    つまり、大人が成長することが、
    子供の成長には前提条件なんだということだ。

    指示・命令・恫喝・懲罰等々、
    なかなか教育と称して、指導と称してのパワハラはなくならない。
    子供たちは、目の前のそうした傲慢な大人の評価に怯えている。
    もし、その大人のことが大嫌いだったらどうだろう。
    その大人と毎日会わなければならなかったらどうだろう。
    それだから、反発もするし、言うことも聴かないし、いじめも起きる。
    子供は、その大人の鏡だ。
    その鏡に映っているのは、その大人自身・私なんだと、
    どうして大人は、理解できないのだろう。
    これも、二人で共感できる事実だった。

    では、子どもはどんな大人を好きになるか。
    それは、簡単だな。

    優しい人だ。
    話をよく聴いてくれる人だ。
    明るい人だ。
    その子のことを大事に想い、認めてくれる人だ。
    笑顔の人だ。
    いつもいつも気にかけ、心配してくれる人だ。
    その子の見えない人格や実力を信じてくれる人だ。
    そして、ジュークの分かる人だ。
    ゆとりがあって、「いいよ。いいよ」と失敗を許してくれる人だ。

    彼は、そういう人だ。
    だから、私も尊敬している。
    そして、威張らない。俺が俺がとは言わない。実に謙虚だ。

    やっぱり、空の人なんだなと、改めて想った。

    その反対の大人たちは、自分が子供たちの心を傷つけていることを知らない。
    全く、目の前の子供たちの心の声に鈍感になっている。
    そのことのために、子供たちとの信頼関係が築けず、孤立する。
    実は、子どもが、大人で、大人が、子どもだ。
    そうした、現実を何度も目の当たりにした。
    そのことを、私も、彼も経験している。

    だからと言って、こうしなさいとは、私は、言えないし、言わない。
    そんな立場には、私が居ないからだ。
    でも、私も、彼も、そうやって生きている。
    その事実は、その現場の片隅にあってもいいと考えるからだ。

    その理想や理念や哲学を語って、みんなを導くのは、管理職の仕事だ。
    そこに勤めている大人たちの顔が、
    その管理職たちの顔なんだ。
    働く大人は、管理職の鏡なんだから。
    働く大人が疲れていたり、生気が無かったりしたら、
    まさにそれが管理職の責任なんだ。

    それから、子どもは「意味」に気付くと、生き方を変えるとも語り合った。
    大人は、子供たちにその意味を諭していない。語っていない。
    ただ、「やりなさい」だ。
    「できるか、できないか」だ。
    だから、子供たちはそのことをやる意味を知らずにただやらされている。
    だから、大人の眼が無い時は、やらない。怠ける。逃げる。だった。
    でも、その意味を知っている子どもは、
    その意味とは、自分自身の成長にとっての意味なのだと知っているから、
    自分の幸せと心の成長の為に、そのことをやるようになる。

    教え、諭すことが、大人の子どもに対する役割なんだ。
    そして、「待つ」ことこそ、子どもを育てる大人の大事な態度である。
    そのことも、二人で共感できた。
    「期待」という言葉がある。
    「今は、こうでぁっても、この子は、いつか必ずできるようになる」
    つまり、その子にとっての「いつか来るその時」まで、
    しっかりと信じて、待ち続けることだということ。
    そのためには、声をかけ、励ましを与え、決して見捨てないということ。
    それが、子どもを育てる大人の愛なんだということ。

    何だかね。
    本当に、彼と私とは、同じ想いで、子供たちに向き合って来ていた。
    それは、魂が同じなのだということなのかもしれないとも感じた。
    そう感ずる大人の魂は、きっと、一つなんだと、私は思う。

    そしたら、四時間近くたっていた。驚いたな。

    今日の夕方も、私が深く深く尊敬している人と会う。
    やっとその人と酒を飲んで語り合う夢が実現した。
    念ずれば、通ずる。
    またまた、同じ一つの魂に出会える喜びを感じたい。

    あき乃の蕎麦は、残念ながら売り切れることもあるが。
    この魂は、ずっとずっと一つでここにあり続ける魂だ。

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