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  • from: クマドンさん

    2019年01月17日 21時30分02秒

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    ライブなんだ。本物なんだ。

    朝は、寝坊だった。
    というより、起きられなかったな。
    相当寝不足の状況だ。
    いつものように3時45分に目覚ましが鳴った。
    でも、その音を切り、また眠った。
    はっと、起きたら、6時15分だった。
    やばい。
    外は、薄っすらと雪景色だった。
    7時前には、我が家をでなければ・・・だった。

    昨夜は、竹山さんの映画だった。
    この映画を観たくて、年休をとって帰った。
    バスで向かった。
    そして、映画だった。
    だが、だが、こちらの身体の準備がままならなかった。
    とにかく眠たかった。

    竹山さんの演奏を聴いたのは、高校生の時だった。
    渋谷のジャンジャンで演奏していた頃の竹山さんだった。
    新潟県民会館だった。
    私は、竹山さんの津軽三味線にリスペクトだった。
    幼い時から盲目で、三味線一本で、門づけで生きて来た。
    それは、乞食であり、物乞いでもぁった。
    まんまんを食うためには、三味線を弾かねばならない。

    青年になり、北海道や青森を旅しながら、
    餓死寸前のところまでいったことを、この映画で知った。
    しかし、私の魂は、竹山さんの津軽三味線に震えなかった。
    あのどうにもならない、感動を味わえなかった。
    二代目の竹山さんの魂は、感じた。
    でも、あの青森の「うさぎ茶屋」での、
    涙が溢れ、溢れ、どうにもならない感動を、
    この映画からは、残念ながら、感じられなかったな。

    それは、せっかく観に来た、私にとっては、寂しい事実でもあった。
    竹山さんに会いたかった。
    竹山さんの三味線に酔いたかった。
    しかし、こんなに眠気のある、ぼーっとした中では、
    その感動をダイレクトに感ずることの無理を感じた。

    何が、違ったのか。
    トイレで小便をしながら、考えた。
    そしたら、分かった。
    それは、津軽三味線そのものから、空気をビンビンに震わせて、
    伝わって来た音ではないからだ。
    映画の中での演奏とは、
    うすっぺらな演奏にしかすぎないと言うことだ。

    ライブは、ダイレクトだ。
    その空気感が、この映画には、僅かしか存在しない。
    だから、あの「うさぎ茶屋」での、津軽三味線の感動は、
    この映画での、あの竹山さんの演奏からは、伝わらない。
    それは、映像の、限界なんだな。
    この映像は、借り物の、かってありましたとさ、
    そんな映像でしかないんだと言う、何だか、何とも言えぬ寂しさだった。

    あの竹山さんの、渾身の演奏が、
    私と云う魂には、ダイレクトに伝わってこない。
    そのもどかしさとは、いったい何なんだと、逆に、腹も立った。
    二代目の青森での演奏は、すさまじく魂を感じた。
    まるで、即興のJAZZのような、魂の迸り、
    コルトレーンだったな。いい女ぶりだった。

    さてさて、映像の限界を、まざまざと感じた。
    写したものは、その時から、スクリーンの平面のものとなる。
    本当は、そうではないのに、
    映像としてもガンガンと伝わるものを作れる創り手は居るのに、
    残念な、ただの薄っぺらな映像となっていた。

    腹で感じて、ビンビンと響き、涙を流して、竹山さんを聴きたかった。
    この、全く私と関係なく、シールド向こうの世界で、
    どんなに魂の津軽の音を爆発させられても、
    観客席の私には、響かない・・・。そのことの、寂しさだったな。

    帰りに、カプリに行った。
    年に数回、この店の渡り蟹の味を味わいに行く。
    しかし、ここのところ、その味に裏切られること、残念なことが多い。
    この竹山さんの津軽三味線と同じだった。
    一口、食べると、その薄っぺらさがよくよく分かる。
    マニュアル通りの、その味を、若いシェフは創っているとの自負なんだな。
    「これで、上等」

    しかし、不味いととは、言わないが、上手いとは言えない。
    そんなちょうど中途半端な、そつのない味で、よしてしている。
    これは・・・。これでいいのか・・・・。その帽子を被った若いシェフよ。

    以前は、マネージャーが味を知っている人で、
    私が、「ちょっとこれは・・・」とクレームを付けると、
    「実は、・・・」と、分かってくれる人だった。
    本当は、すごいずごいチーフシェフがこの店に居るのだが、
    私は、そのタイミングになかなか出会えなかった。

    ある日、とうとう「これだ」という渡り蟹に出会えた。
    マネージャーに、「これだよ。この味だよ」と、話した。
    彼は、とてもとても喜んで、シェフに知らせた。
    シェフは、わざわざ私の席まで来て、お礼を言ってくれた。
    私は、「ボーノ」と、彼と、握手した。

    ここの渡り蟹は、彼がつれば、絶品の渡り蟹だ。
    しかし、自分がマニュアル通りにそれなりにつくっていると勘違いしている、
    若い若いシェフたちが造ると、何とも薄っぺらな、
    魂のこもらない、実に、実に、浅い味の渡り蟹となる。
    お客さんたちは、それを渡り蟹として、美味しくいただく。
    それで、このお店は、お金をとる。

    でもな。
    その渡り蟹には、感動する深さがない渡り蟹なんだぞ。
    私は、会計でクレームをつける。
    本当に嫌なお客だと思われているだろう。
    でもな。
    本当の渡り蟹を出せるお店が。
    その味を出せていなかったら、「おかしいぜ」と、私は、言う。
    それは、このお店のことを深く、深く、愛しているからだ。

    竹山さんの津軽三味線は、ライブでしか、魂は震えない。
    この店の渡り蟹も、マニュアルではなく、本物を出してくれたら、
    魂で、全知全霊で、その深い深い味を味わえる。

    職人であって欲しい。
    そして、その魂のこもった職人の技は、
    ダイレクトに味わわなければ、
    その真骨頂は絶対に味わわれない。

    映像の津軽三味線は、ある意味邪道だな。
    マニュアルで胡坐をかいている渡り蟹も、どうにもならない貧しさだ。
    ライブなんだな。本物なんだな。
    津軽三味線と、パスタとは、
    同じことを、私に教えてくれたんだ。

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