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  • from: クマドンさん

    2019年01月29日 05時37分00秒

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    大病と心の病には意味がある

    苦しい時代があった。
    本当にこれからどうなるのかと途方に暮れた時代があった。
    でも、今は、そのことを忘れて生きている。
    そんなこともありましたねと、まるで他人ごとのようなものだ。

    しかし、その渦中に居た時は、
    苦しくて苦しくてであったな。
    特に50歳を過ぎてからは、そんなことの連続だった。
    まっすぐに突っ走る。
    わき目もふらずに猛進する。
    その結果、身体を壊した。心を壊した。リタイアした。
    「休め」のサインが、痛みや絶望の形で顕れる。

    それからは、数カ月のトンネルだった。
    痛みに耐える日々。
    身体がままならず不自由な日々。
    妄想と失意と絶望で、ずっとずっと蹲った日々。
    こんな状況は、いつまで続くのか・・・・。
    本当に途方に暮れた。

    過去を悔いる。
    こうなった己を攻める。
    欲望に走り、独りで突っ走り、周りの人の心を傷つけた。
    忠告が在り、警告があり、辞めよとの声が聴こえる。
    でも、辞めない。それを続ける。続けざるを得ない。
    本当は、とてもとても不自由な生活。

    そして、突然落とされる。
    奈落の底だ。
    しかし、本当は突然ではなかった。
    その予兆。その兆し。予感は確かに感じていたはず。
    でも、不自由になった自分には、
    そのことを気付きながら、コントロールすることはできなかった。
    自分でありながら、その自分をままならなくする。

    そこで、電源が抜かれる。ストンと落ちる。エネルギーが切れる。
    強制終了だ。
    目が覚めたら、ICUだったりする。
    心の病で閉じこもり、人に会えなくなっていたりする。
    そんなことばかり幾つも幾つも体験した。
    死ぬ手前。自死寸前。そんな時、本当に孤独なものだった。

    でも、そのおかげで、今、ここがある。
    そこを経ることで、見える景色が変わった。
    生き方が落ち着いた。
    独りで生きることの平安を感じた。
    自分が自分であることの幸いを知った。
    信仰に還った。
    自分が、自分らしく、やっと素直に生きられるようになった。

    試練があっての今だ。
    苦しみがあっての幸いだ。
    どん底に堕ちたからの落ち着きだ。
    この道は、確かだから、もうぶれないだろう。
    そのことを知り、そう生きるための道が、この道だったのだと今は言える。

    でも、そこに到るまでには、
    森に迷わなければならない。
    きっと帰り道を見失わねばならない。
    はっと、何かに気付かなければならない。
    道を見失ったのだから、
    本気になってその道を探さねばならない。

    失ったから、やっと探し始める。
    本来の自分を、その時から、やっと探し求める生き方となる。

    それでは、それまでの自分は、一体誰だったのか。
    それは、自分だと思い込んでいた、それは仮の自分自身。
    しかし、本当の自分になることが、この人生での私の使命なら、
    そのままでは、私はこの生を全うしたことにはならない。
    仮のまま生きるとは、眠ったまま、夢を見るだけの空しい人生だ。

    本当の自分と出会うためには、
    その仮の自分だと思い込んでいた幻の自分が死なねばならない。
    だからこそ、人は、時が熟すと、試練が起きる。
    そこで、幻の自分自身の弱さと愚かさと罪深さとに気付かせられる。
    本当に有無を言わせない。
    どんと、突然、不意に、何の前触れも無く、やって来る。
    しかし、その絶望は、ありがたいものだ。

    そうでなかったら、きっと私は、目覚めないまま生きた。
    そして、いつもいつも迷いの中で、森をあちらこちらと彷徨っていただろう。
    でも、そこも、還るための大道であったことを、
    正気に戻れば気付くはずだ。
    そのためには、このどん底を深く深く味わわねばならないようだ。

    絶望は存在しない。
    その真っ暗闇の中でも、
    きっと微かに救いの灯りが、光明が燈っているはず。
    その呼び声が遠く遠くで囁くように聴こえるはず。
    差し伸べられているその手に、気付くはず。
    そこに、信がある。

    それを、信ずるかどうかだな。

    絶望しない人に、信仰の恵みは与えられない。
    その絶望の痛み、苦しみ、孤独こそ、
    人を本来の人とし、信仰の人とし、感謝と祈りの人とする。
    しかし、まだ自分を頼りにして、その手をとらない人は、
    きっともっともっと深い絶望の海に沈む、沈む。

    不思議なことだが、この大病と心の病とに、
    人生の岐路がある。

    私は、この道を選び、歩いたことを喜びと感ずる。

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