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  • from: クマドンさん

    2019年02月10日 07時25分31秒

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    映画「ララ・ランド」とドラマ「みかづき」は自分が自分である物語

    泣いた後のはれぼったい瞼だ。
    昨日も、ドラマと映画の物語で泣いたな。
    同時に二本のドラマと映画。
    そして、二つの物語に滂沱の涙。
    物語に真実ありだな。

    映画「ララ・ランド」
    どういうわけかずっと観られなかった映画だった。
    大好きなミュージカルであり、
    ハリウッドスターを夢見る彼女と、
    売れないジャズピアニストの彼とのサクセスストーリーだ。
    物語は、こうして定番の王道で語られる。

    彼には、廃れた伝説クラブを復活させて、
    ビバップjazzの店を出す夢が在る。
    しかし、金は無し、仕事は無し。
    生きる為に今受けするバンドのピアニストになる。
    自分を曲げる。自分を売る。それは、食うためであり、生きる為。
    何よりも愛する彼女の為だ。

    彼女は、ハリウッドスタジオの中のお店で時給幾らの店員だ。
    いつかプロデューサーや監督に見初められることを夢見ている。
    大学を中退して6年間、オーディションを受けては落ちる繰り返し。
    採用試験を百も受けて、百落とされた若者の屈辱感だな。
    全く自信を失う。弱気になる。もうやめようと思う。
    それでも、また、奮起してオーデションを受ける。
    しかし、彼女にはセレブな彼が居る。
    お金持ちの父が居る。
    流れようとすれば、そんなセレブな生活をすることはできる。

    でも、気付いた。
    これは、彼女自身がが求めているものではない、ということに。
    映画館で待つ彼の元に走った。
    自身で独り芝居の脚本を書き、演じた。
    全くの不入り、不評であったが、
    その舞台の演技で、一人のキャステングデレクターに認められた。
    新しい作品の主演に新人としての抜擢だった。

    ここまでの物語は、全て定番、王道そのもの。
    しかし、本気で深く生きようとする彼と彼女の姿に、
    私は、涙が止まらない。
    「自分は、自分であり続けたい」
    「自分は、自分として全うしよう」
    紆余曲折。数々の挫折を繰り返しながらも、またトライするのは、
    そんな自分のことを大切にして、愛しているからではないだろうか。

    彼や彼女が彼や彼女になる前に、自分はちゃんと存在していた。
    その自分が、語りかけることを、彼と彼女とは夢に描いた。
    しかし、途中で困難なことが起こり、無理が生ずる。
    また、その自分を捨てたらお金が手に入る。安定した生活ができる。
    でも、そこには虚しさしかなかった。
    自分が自分で在り得ない時、人はきっと幸せにはなれないのだろう。

    夢とは、彼と彼女とがこの世で果たすべき役割のこと。

    自分が、その与えられた役割を演じ切る。
    それが、この世に生きているという意味ではないだろうか。

    人は、怖いから、その問いを聴かないようにする。
    その奥深くに静かに眠っている自分を、起こさないようにする。
    自分が自分で生きられないための理由を次々と言い続ける。
    「世の中はこうなんだ。」「そんな子どもでは生きてはいけないんだ。」
    「ここまで頑張った。もう、いいよ。」かな。

    私は、毎年採用試験を落ち続け、新採用となったのは32歳だった。
    それは、きっとこの仕事が、自分の仕事だと信じたからだろう。
    そして、自分が自分で居られる仕事は、楽しい仕事だ。
    いろいろとあった。潰れたことも。倒れたことも。動けなくなったことも。
    でも、この仕事を現役で全うできた。
    きっとこの仕事は、神様が私に与えてくださった仕事だったから、
    それが出来たのだと今も信ずる。

    自分は、自分であり続ける。

    深く生きるとは、こうして生き続けることではないだろうか。

    しかし、初めからは、自分でありながら、その本来の自分とは出会えないもだ。
    その自分を探すプロセスこそ、日々を生きることの意味である。
    日々、自分らしく生きるから、日々是好日となる。

    雪が雪であり続けるように。
    雀が雀であり続けるように。
    雲が雲であり綴れるように。
    私は、私であり続けよう。
    自分は、自分であり続けよう。

    彼と彼女が深く大人で生きているのは、
    そうやって自分が自分であり続けようと努力して生きているからだ。
    「パリの叔母さん」のソロの歌は、絶品だった。
    魂が震えた。それは、歌っている彼女の魂が歌っているからだ。

    願わくば、魂の人であれ。
    その魂こそ、自分なんだから。
    魂のまま、生きればそれで充分なんだな。

    さてさて、ラストはどうだろうか。
    ハッピーエンドで終わるはずの物語。
    なのに・・・・。

    クラブから出る時、彼女は振り向いた。
    彼は、ステージのピアノのの前から彼女を見つめた。
    自分が自分でありあり続けた二人だから。
    その自分の魂に忠実に従ったその5年間があったから。
    二人は互いに、今、ここで、自分を生きている。
    万感の想い。
    同時に二人は、現実と違った二人だけの夢のストーリーを創造する。

    ふっと、微笑んだ。
    その笑顔には、深い深い互いの気持ち。
    自分で自分を生きている人だけが感じられる充足感・・・。
    何だか、互いに健闘を称え、
    いつまでもいつまでも見守っているよとの約束。
    言葉では、やっぱり説明できない。
    あの深さは、二人のアップでしか語れない。
    ここで、声を上げて泣いた私。
    劇場でなくてよかった。よかった。

    物語の真実とは、自分が自分であり続けることの真実である。
    その深い自分の登場しない物語に、魂の感動は在り得ない。

    NHKドラマ「みかづき」の悟朗さんには、私自身を感じている。
    だから、悟朗さんを深くリスペクトして、深く共感して、
    だから、涙が止まらない。

    涙とは、生きている自分との邂逅なんだ。

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