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  • from: クマドンさん

    2019年02月11日 08時20分03秒

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    魂の私に

    寒い、寒い、朝だ。
    本日は、寝坊することに決めた。
    4時に起きてから、また、二度寝をした。
    時刻を気にせず、そうやって眠れることがありがたい。

    ずっとずっと睡眠時間が少ない日々だ。
    夜中にも何度も起きる。トイレにも行く。
    ぐっすりと爆睡する日は、希になった。
    だから、充分に脳の休息をとっていない。
    そして、いつもいつもリアルな夢を見ている。

    本当にリアルなんだなこの夢が。
    目覚めていても、まざまざとその実感が残っていることがある。
    そう言えば、私はあるホテルから借りた本に、
    大事な個所を赤いボールペンで波線を付けた。
    その本を返す時に、発見されたら1500円の弁償なんだな。
    ああ、受け取った人がそのページをめくらないことを祈る。
    という、細やかな事件の夢を見た。

    その夢から目覚めた途端、
    私は、この現に戻っていたわけなのだが、
    それまで、私はあるリゾートのプールの在るホテルに滞在していた。
    確かに、Hさんと会話していた。
    彼の子ども時代のお母さんの話を聴いていたような気がする。
    しかし、思い出しても、色を感じない。
    そう言えば、質感というか、質量を感じない。
    夢とは、不思議な感触の世界なんだな。

    昨日の話。
    賢治の物語について語っている内に、
    この夢と現との行ったり来たり。
    その感覚の不思議さと、面白さについて語った。
    実は、私たちは、不思議な世界に生きている。
    そこには、生者と死者とが共存し、互いに交信している。
    そのことは、昨日のここで書いたこと。

    ここに居る私には、身体と心がある私だ。
    しかし、ここに居る私とは違った在り方で存在している人には、魂だけがある。
    身体と心とがあるから、人は欲が出る。
    我がままになる。
    自分だけがよければと思う。

    しかし、魂の人は、自分を捨てる。
    隣人の幸せの為に、自分を与える。
    自分のことを一番最後にする。
    自未得度 先度他 だな。
    そこに、菩薩の道がある。
    神様の愛と平安なる道がある。

    神様も仏様も、人にはきっとそう生きて欲しいと願っている。
    そして、人は生まれる前から、その願いである魂を頂いている。
    いや、きっと生まれる前は、夢の世界のように、
    そこで魂として生きていたのではないだろうか。
    魂としての存在は、実はリアルなんだと、私は想う。

    「物語の中に真実が在る」と、言った。
    言った後、「ああ、本当だった」と、自覚した。
    この世に在るものは、一時、仮初、瞬きのただの現象にしか過ぎない。
    魂の象徴・顕れ、仮の姿形。
    それは、常ではなく、移ろい、変化し、いつかは消えて無くなって行くもの。

    「死が私たちの身の回りから無くなった」と、70代の女性の語り。
    「子どもたちが、人は死ぬんだ。そうした実感を得られなくなっている」との話。
    人は、死ぬ。
    人は、骨になる。
    その実感を、子どもたちも、若い大人たちももっていない。
    「無常観の無い人には、本当に生きるの在り難さが分からない」とのこと。

    賢治の物語には、いつもいつもこの無常感が感じられる。
    そして、魂としての賢治の存在がここにあり、
    今でも、その物語を通して、賢治の優しい眼差し、現身を生きるものたちへの愛を、
    感ずることはできる。
    物語の中で、賢治は今も生きている。
    その物語の世界に、私が入り、
    信じて、実感をもって生きられればのことだが・・・・。

    賢治は、夢を通して、真実を語る。
    そして、私にとっては、夢を信ずることが、
    賢治の描いた世界を魂で感ずることだった。

    身体で感ずることもある。
    心で感ずることもある。
    ならば、私は、もっともっと魂で感ずることを感ずるべきなんだ。

    ここは、魂で充ち溢れている。
    いや、ここは、魂なんだな。
    「魂の、私」と、池田晶子の言葉だ。

    その魂の私に成り切れた時。
    そのことを深く深く実感された時。
    夢と賢治と私と物語は、一つになるのだと、今は想う。

    「無為自然」の「無為」にこそ、一つの魂の道がある。
    「有為不自然」なんだな。
    しかし、現身の私は、正に、この有為であり、不自然を生きている。
    だからこその、魂からの呼びかけだ。
    そんな物語を私も書きたいものだ。

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