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  • from: クマドンさん

    2019年03月11日 05時47分18秒

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    3.11の朝だ

    3.11の朝だ。
    8年もたっている。
    その間、どれだけの人たちの悲しみがあったことか。
    津波で多くの人たちが一瞬で亡くなった。
    ついさっきまで笑顔で話していた人が、居なくなった。
    元気だった子供が、津波にさらわれて消えた。
    家族が居なくなった。

    もっともっと優しくしてあげればよかった。
    もっともっと語り合っていたらよかった。
    そんな後悔。そんな苦しみ。そんな悲しみ。
    それは、決して癒えることのない悲しみだと感ずる。

    私は、父と母とお別れをした。
    それは、そんな日が必ずやって来るとの覚悟の上だった。
    だから、お互いにお別れまでの時間はあった。
    もう数日と云う日。
    私たちは、ベッドの傍らに座り、父や母の掌を優しく撫でた。
    父の髪の毛を、そっと何度も何度も撫でた。
    母の手をぎゅっと握って、「ありがとう」を言った。

    父も母も意識を顕すことは無かったが、
    きっと聴いていたと確信している。
    「ありがとう」その言葉は、必ず眠っている父や母に届いたはずだ。

    そして、自宅ではなくて申し訳なかったが、
    病院の個室で、大勢の家族や親戚の人に囲まれて、
    最期を看取ってもらえたことは、
    父や母にとっての幸いだったと、私は思っている。
    私は、母が臨終の時。拍手した。
    「本当によく生きた。がんばった。すごかった。ありがとう」だ。

    願わくば、私も、せめて死ぬ時は、家族に看取ってもらいたい。
    しかし、私には、そんなことを期待する資格はないのかもしれないが・・・。
    死に向かう家族との別れは、人生におけるまさに厳粛な儀式だ。
    死を覚悟する生者がいる。
    死を看取ろうとする生者がいる。
    そして、ある瞬間を境に、その生者は、死者となる。
    魂が、身体から抜ける。
    この身体がもぬけの殻となる。

    私は、父と母の殻を観た。
    本当にあの死体は、魂が人として宿っていた殻に過ぎなかった。
    父も母も、ここに居てくれた。
    ああ、今も、こうして私の背後から、私の背中を見守ってくれている。
    魂の父も母もありがたいことだ。
    時々、私は、父と母とに話しかける。

    それは、きっとそこに居てくれることを信じられるからだ。
    祈る時、その祈りを聴いてくれる何かが存在している。
    だから、その祈りは、聞き届けられる祈りとして語られる。
    私は、空に祈っているのではない。
    私は、聴いてくれる何かに向かって祈っている。
    それを、信じられるかどうかで、人生は全く違うものとなる。

    被災地では、今朝、この闇の中で無数の祈りが祈られていることだろう。
    亡くなった父や母や、兄弟姉妹や、我が子に対して、
    正に血の涙を流して、深く深く祈り、悔やみ、侘び、感謝し、涙を流す。
    涙は死者との邂逅の証しだと、若松さんが言っていたっけ。
    涙は、涙を流すことで、死者と深くで繋がったことを自覚できる。
    来てくれた。傍に居てくれる。
    そう感ずるから、涙は自然と溢れる。

    しかし、この死者たちとの、別れの時を、生き残った人たちは持たなかった。
    その掌を摩ってやることも、白髪の頭をそっと撫でることも、
    「ありがとう」と言ってあげることも、じっと黙って涙を流すことも。
    この地の、生者と死者とは、その時を持てなかった。
    いつの間にか、大事な家族が、居なくなった。
    二度と会えない。その思い出の記念すら遺されてはいない。
    この広大な砂漠のような喪失感。
    その砂漠のど真ん中に、今も、生者はぽつんと独り立たされている。

    それが、この震災の救いようのない悲劇なのだと、改めて感じた。
    「想いを遺す」
    何かの想いを解消し、和解せぬままに、突然死者となる。
    その想いは、生者も同じだ。
    どうしたら自分自身を赦すことができるか。
    それはそれは、生きるの深い深い問いだと私は想う。

    メメントモリ。

    いつもいつも死を想う。

    明日を知れぬ無常な中で、私も彼も彼女も生きている。
    だから、死を常に意識する。
    こうした突然の別れは、ある。
    ならば、その別れがいつ、突然来てもいいように、生活する。
    しかし、これがなかなか難しい。
    凡夫としての私の愚かさ、罪深さ、弱さに、至らなさ、自分勝手だ。

    しかし、今日だけでも、死者たちを想おう。
    鎮魂の祈りを祈ろう。
    生者にできることは、死者の魂の幸いを祈ることだけだ。
    そして、死者は、ちゃんとここに居て、
    私たちの日々の生活を見守り、
    私たち独り独りが幸いに生きられるように祈っていてくれる。

    その一繋がりを、深く深くで感じていたい。合掌。

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