新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2019年03月13日 05時32分36秒

    icon

    映画「ミッション」

    昨夜も、休酒だった。
    無理にそうしようとしているわけでもない。
    しかし、不思議なことに身体は、酒を求めない。
    それは、それで、いいかな・・・、だった。

    いつもならビールを呑んでいる頃合いに、
    映画「ミッション」の続きを観た。
    映画も長くなるので、
    何回かに分けて観ることが多くなった。
    後編は、いよいよポルトガルとスペインの軍隊が、
    滝の上の楽園で生活している先住民族たちを虐殺するシーンだった。

    こうした惨いことは、歴史の中で行われ続けて来た。
    インデアンがそうだ。インデオがそうだ。アイヌがそうだ。琉球がそうだ。
    強国・大国は、その利権を獲得するために、
    侵略し、略奪し、殺戮を行う。
    一部の富を独占している者たちが、
    その富を拡大するために、他国の平和を犯して、侵略する。
    今は、それを経済と核爆弾で行おうとしている。

    さてさて、イエズス会神父たちは、この危機をどのようにして迎えるか。
    それは、神の意志として、
    独り独りがどのように生きるかを問われる場面だ。
    恋人の浮気から嫉妬して弟を殺した男、ロドリーゴ。
    彼は、自分が負ってしまった罪の重荷に耐え、苦行し、自らを痛めつけ、
    この滝の上の楽園に至った。
    そこで、彼が見たものは、
    平和に生きる先住民族の人々の素朴で純真な愛の姿だった。

    奴隷商人として、この人たちを狩って、売りさばいていた彼。
    同朋を人狩りで失ったその人たちが、その人狩りの彼を赦して、同胞とした。
    ここに、真実の愛がある。
    彼は、深い深い罪で悩み苦しんでいた。
    その彼を、憎むべき奴隷商人である彼を、彼等彼女等は赦した。
    赦された者にしかきっと分からない深い深い愛は、ここにある。
    自らを罪深い者だと嘆いている者だけが、
    このロドリーゴの感謝と喜びとを感ずる者だ。

    彼は、軍隊に対して、武器をとって闘うことを決断した。
    しかし、彼の師である神父は、無抵抗を選んだ。
    闘う彼と、無抵抗を貫く神父と。
    しかし、それは、対立するものではなく、
    「愛する」という決意にとっての二つの選択の道だった。
    武器をとるか。無抵抗の沈黙をとるか。
    神からの「ミッション」とは、どちらでもあるのではないかと、
    私は、そう想った。

    一番許せないことは、
    自らの利権を得る為に、「正義」をかざして攻撃する強国・大国だ。
    イエズス会の枢機卿は、ポルトガルでのイエズス会での復権のために、
    この虐殺を黙認した。
    いや、この虐殺を行うための「正義」を自ら承認した。
    それが、政治だ。
    政治は、いつも架空の「正義」を創り出す。
    そして、お呪いのように大衆に唱えさせ、
    そのことを「信仰」にまで化けさせる。

    そうなると、その正義に異を唱える者は、
    反逆分子として処刑される。
    罪の無い人たちが大量に虐殺されても、それは正義だった。
    「正義」ほど怖いものはない。
    それは、歴史が全て証明済みだ。

    ロドリーゴも死に、神父も死んだ。
    男たち女たちも虐殺されて、それは歴史の闇に葬られた。
    しかし、子どもたちが遺された。
    彼等、彼女たちは、小舟に乗った。
    女の子は、壊れたバイオリンを片手に持っていた。
    子どもたちは、その小舟で、大人たちの手の届かない、
    上流のジャングル奥深くを目指した。

    「生き残るものは、ここで闘って死んだ人々の記憶だ」
    「この人たちの魂は、その記憶の中で永遠に生き続ける」

    その永遠に生き続けるものにだけ、
    その永遠に在り続けるものにだけ、
    命を懸けて、日々を生きる。
    その道を、歩くことを自ら選び、その道を歩き続ける。

    子どもたちは、きっと名も無き人々して、
    ジャングルの奥深くで小さな楽園を築いて、その生涯を終えるだろう。
    それで、いいのではないだろうか。

    平和に日々を暮らす。

    本当は、そのことこそ、神が私たちに求めている、
    生きるのミッションなのではないだろうか。

    平和に暮らす。
    幸せになる。

    そんな当たり前のことが、できなくなるような世の中であってはならない。
    そして、そんな世の中にしようとする企みには、
    やはり、どちらかの道を選択して、闘わねばならないと私は想った。
    そんな日が、決してこないことを祈っているが。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件