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  • from: クマドンさん

    2019年03月18日 05時33分39秒

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    言葉は魂の糧なんだ

    「歳をたらないと、分からなかった」ばかりだと、Sさんと話した。
    確かに、身体が弱っている。衰えている。
    それはそれは、ごくごく自然なことだった。
    10年前の私ではない。
    それは、身体のことだ。

    実は、歯茎を支えている骨が溶けていた。
    レントゲンを撮ってもらって驚いた。
    「ない」だった。
    5年前の写真と比べたら、その違いは歴然だった。
    すかすかの中で、奥歯が倒れながら浮いている。
    ただ、歯茎が支えているだけ。

    めっきりと体力も落ちた気がする。
    晴れた日でも、走ろうとは想わなくなった。
    昨日は、疲れた身体を休める日とした。
    本当は映画を二本観る予定だったが、やめにした。
    土曜日の衰弱をまだまだひきずっていた。
    ああ、何だか、思い通りにいかなくなったな・・・の寂しさだ。

    長男はハーフマラソンに参加して来た。
    私は、ぼーっと午後をのんびり過ごした。
    何もしない。何もできない。でも、ビールを呑んだ。
    そんなこんなから、私は、何かものの感じ方が変わって来た気がする。

    頭で考えたことは、消えて無くなる。
    しかし、身体で味わっていることは、ここにちゃんと遺され、蓄積されて行く。
    そして、頭で考えたことは共有されないが、
    身体のことは、共感されるということだ。

    私は、手術によって身体が全く動かないことを経験した。
    長期の入院によって、身体の不自由を体験した。
    そして、思うように動かないこの身体とお付き合いをした。
    その時だった。
    身体が、身体として認識された。
    私は、大事なこの身体のことを忘れていたのだ。

    そして、動かない不自由な身体と向き合った時、
    やっとその身体の声が聴けた。身体と対話することができた。
    身体は、その対話をずっとずっと待っていてくれたようだった。
    身体と私とは、確かに一体だった。
    もし、私に身体が無かったとしたら、私は魂の私になるのだろうか。

    実体とは、この身体のことだった。
    しかし、その身体が不具合を起こし、不自由になり、歩くこともままならない。
    いつも発熱したり、痛みが出たり、苦痛で眠れなかったり。
    そんな身体も、私なんだとの気付き。
    痛みや苦しみ、不自由さを通して、私は、身体の存在にやっと気付いた。
    そして、不思議なことに、身体に対して感謝した。

    いや、感謝の前に、謝ったな。
    「ごめんな。忘れてたは。こんなに頑張っていてくれたのにな・・・」
    失った時、やっとその大いなる働きに気付いた。
    その気付きが遅すぎたことのないように願いつつも、
    私は、身体の蘇生と回復とを天に委ねた。
    「生きるならきっと生きられる。駄目ならそれはそれなりに」だった。

    それから、身体と共にあり、身体に聴きながら、そろりそろりと生きていた。
    本当に立ち上がることから始めた。
    ふらふらとしてその一歩が出ない。
    それでもそろりそろりと自力で歩いた。
    歩くことを全く意識していなかった私が、歩くことの困難を感じていた。

    そして、不思議なことに、私は、やっと分かった。
    歩けない人の辛さ、哀しさが。
    私は、病気によって身体の自由を奪われ、
    寝たきりになった人の痛み・哀しみが、やっと腑に落ちた気がした。
    その人たちは、私だった。
    健康な私は、その人たちの痛みと哀しみに気付くことも無く、
    きっと無神経に見過ごし、労りの気持ちを持たずに傍で生きていたのだと、
    やっと分かった。

    不思議なことだが、頭では絶対に分からないものだ。
    身体で味わったことだけが、真実なんだと、今でも思う。
    身体で味をったことに、嘘はない。ほんこばかり。
    この現実は揺るがない。目が覚めても、変わらない。
    治らない。衰えるだけ。弱るだけだ。

    しかし、しかし、ここなんだな。
    人は、その身体と共に精神も弱っていいのかという「問い」だった。
    私は、そこで池田晶子さんと、若松英輔さんに出会った。
    既に、彼女は鬼籍の人であったが、彼女は確かに私に語り掛けてくれた。
    言葉が、沁みた。
    つまり、試練や逆境に在る時、言葉は精神の糧となる。
    本当に、その言葉の意味を、身体全体で味わうことができたのだ。
    それは、驚きだった。不思議な力だった。

    言葉には、人を生かす力が在る。
    たとえ、身体がどんなに不自由であろうとも、
    精神は、言葉によって自由自在に飛翔できる。
    生きるの力は、身体が不自由だからこそ、真実の言葉によって鼓舞される。
    言葉は、やっぱり魂の糧なんだ。

    今こそ、その言葉を味わおう。
    その言葉の意味を魂の使命として、
    その言葉を生きる人となろう。
    言葉にはどんな試練も逆境も乗り越えさせる力が在る。
    それを信じられるかどうかで、人生は変わる。

    いつもは小さな花束を贈っている。
    今日は、小さな言葉の花束を贈りたい。
    「あき乃」のお母さん。
    元気出してね。

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