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  • from: クマドンさん

    2019年04月07日 06時26分55秒

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    自分自身を生きる生き方へ

    しかし、体調なんだな。
    金曜日の夜、職場の歓迎会だった。
    ワインがあったので、飲み放題で飲み続けた。
    一次会で帰宅する予定だった。
    飲み会での数々の失敗が、呑兵衛の私を少し変えた。

    飲んで語らない。
    いや、本音をがんがん語るべき相手を選ぶ。
    そうではなかったら。
    それほどではなかったら。
    私は、黙っている。
    話の輪の中に入って聴き手に回る。
    そんな立ち位置で酒を飲んだ。

    しかし、二次会では、やっぱりやってしまったな。
    それでも自分のことをセーブした。
    言えること。言っていいこと。言ってはならないことの分類だ。
    それなりに私が先週やった発言の影響が出ていた。
    その事に対する私自身の自覚を深めた。
    言ったことは、実行することだ。
    そのことを肝に銘じている。

    親父バントが誕生しそうだ。
    そのことは、言ったからには実現しよう。
    いつも遊び心をもって生きる。
    いい加減に自由に生きる。
    そうやって生きていなくては、この職場に戻った意味はない。
    そう思っている。

    こんなにいい加減に面白おかしく生きている人が居てもいいんだ。
    61歳。どうにもならないちょい悪親父。
    でも、その存在感が、何か少しずつでも空気感を変えていくのなら、
    そこで生きる意味もあるはずだ。

    そして、夜中に隣の部屋の床で寝ていた。
    カップの担々麺を食べ、一番搾りを1/3飲んでいた。
    夜中の2時に、寒くなって目が覚めた。
    それから、布団へ。寝坊は必須だった。
    土曜日の朝、ヨガには行った。11時からSさんと電話で話した。
    昼にカレーを食べた。
    そこで、グロッキーだった。
    身体がだるい。今でもそうだが、眠気が酷い、酷い。

    文庫本をもって布団の中にもぐりこんだ。
    腹ばいになって本を読んだ。
    言葉が、実感として身体の中に沁みこまない。
    それでも、何だかいつか、きっと、このままを続けたら、
    はっと想える言葉と出会えるはずと、それだけを信じて読み進めた。
    はずだった・・・・。

    3時に気付いた。また、眠った。4時に気付いた。眠い。だるい。
    一体私の身体はどうなってしまったのだろうか。
    こんな晴天の気持ちよい日中に、布団の中で蹲っている。
    何とも寂しく、情けない午後だった。

    「私は、独りなんだなぁ」
    「私は、認められていないなぁ」
    「これが、私の生き方なんだなぁ」と、
    訳の分からない寂しさと虚しさとに、またまたかられてしまっていた私。
    飲んだ次の日のこのどん底感は、どうしてなんだろうか。

    夕方、チャン・イーモゥ監督の中国映画「初恋の来た道」を観た。
    私は、村にやって来た青年教師を想う、一途で直向きな彼女の恋に、
    涙が止まらなくなり、声を上げて泣いていた。
    この映画を、私が死んだら、息子たちには観てもらいたい。
    あの棺をみんなで手分けして持ちながら、村に帰って行くその光景は、
    人はかくも真に生き抜くために、その人の生涯はあるのだという、
    何だか、その真実なる生き方に、ただただ胸を撃たれた。感動だった。

    今朝も、身体はボロボロに近かった。
    難儀だから、動く気も起きなかった。
    だから、こうして「親父たちよ」を書いている。
    いつもなら、ヨガを終えて、朝風呂に入っている時刻だった。

    「自分」と「自分自身」を分ける。
    今朝、読んだ本の中に、そう書かれてあった。
    昨日、心に響かず、惰性のようにして読み進めた本の一節だ。
    その言葉と出会った瞬間、分かった。
    それで、いかったんだと。

    私は、きっと「自分自身」からの声を聴いて生きて来た。
    それまでは、「自分」という「我がまま」が優先した。
    しかし、そんな時でも、「自分自身」は私に言葉を伝え続けた。
    それは、自分という魂の真の声だった。
    「社会」の中は、その価値観や決まりや常識やレッテル等の無数の矢印だ。
    それに翻弄されずに、何とか「自分」だけを守って生きては来たはず。
    しかし、歳をとって衰えた時、
    この「自分」が独りになり、何だか受け入れられず、居場所がなくなった。

    いや、そうではないな。
    それは、山に入る修行者のようなものだ。
    「社会」からの離脱。
    「社会」から降りる生き方の選択だ。

    今は、そうやって「社会」から距離を置き、その人ではなくなっている。
    しかし、その時の孤独こそ、
    本来の「自分自身」と出会う、大事な時となる。
    「独りにならないと、二人にはなれないからだ」。

    今、そんな時がやっと訪れたようである。
    それは、「自分」が、「自分自身」と改めて出会う時だ。
    それは、「自分自身」の声のまま、
    その声に導かれて「自分」を生かす生き方だ。

    だから、人は、絶対に独りにはならないんだ。
    ここに到ると、他者でも社会でもない。
    自分自身との御同行しかない。

    私の身体の衰えと、この怠さと眠気とが、
    一冊の本と、一本の映画と出会わせてくれた。
    その二つのことは、きっと同じことを弱った私に教えてくれた。

    「自分自身の声に聴き従いなさい」
    「忠実に自分自身が指し示す道を歩みなさい」
    「何も考えず。何も悩まず。ただ、その道を信じて行きなさい」

    これほどの励ましは、ないのではないかと、今も涙だ。
    「自分」の道を行くのではなく、
    もうこれからは、「自分自身」の道を行かねばならない歳なんだな。

    一冊の本「自分をいかにして生きる」西村佳哲著 (生き方研究家)
    この本も、私が死んだら息子たちに読んでもらいたい本となった。

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