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  • from: クマドンさん

    2019年04月11日 05時36分21秒

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    言葉を生きるのは自分だ

    今朝は、あるメールを書いていたので時間がなくなった。
    本当は、今、ここに、気付いた言葉を描きたかった。
    しかし、その言葉は、性急に言葉にして、固めたくない気付きだ。
    だから、ちょっと黙って、懐で温めていたい。
    その代わりに、「自分をいかして生きる」西村佳哲著から、言葉を書き留めたい。

    「どのような状況でも自分を失わず、精神の持ち場を離れずに、
     その働きを成すこと」

    「働くことを通じて自分という存在に責任を果たそう」

    「自らに由って生きるということは、他の誰のせいにもできないし、
     言い訳もしないあり方を意味している」
    「生まれてきた自分に責任を持って、それをまっとうするということ」

    「人が一番傷つくのは、他人にどうこうされることより、
     本人が本人を裏切ることによるのではないか」

    「誇らしさは、自分についても他人についても、
     本人が本人を裏切らないことによって生まれるものだ」

    「仕事は収入を得ること、つまりお金を手に入れることとほぼ同義になってしまって、
     生気を失いがちだ。しかし、そもそも主にお金のために、
     かつ言われたことを言われとおりやることは仕事なんだろうか。
     僕の感覚では、それは仕事というより、 労働という言葉のニュアンスに近い」

    さてさて、時刻になってしまった。
    ここまでとする。

    この言葉は、生き方そのものだ。
    そして、そうした生き方や問い方をしている人には、
    この言葉は、実感として、そのとおりとして、肯かれる言葉だ。

    言葉と出会うことは、自分と出会うことだ。
    ただし、自分がちゃんと任され、委ねられた自分として、
    悩みつつ、迷いつつも、自覚をもって日々を生きている人にとっては、
    この言葉は、生き方そのものとしての「意味」がある言葉となる。

    つまり、「言葉」と「生き方」とは、絶対に別物ではないということ。
    その「言葉」と、いかにして御同行で日々を生きているかかな。
    いつもいつもこうして本を読むのは、
    改めて、「お前はちゃんと自分を生きているのか」と、問い直すためでもあったな。

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