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from: クマドンさん
2019/05/13 05:28:33
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「分身」として生かされる
土日にいろいろとあった。
人は、やっぱり出会いだなぁと、深く感じた。
地域社会の中でいろいろと不具合があり、
人との付き合いに疲れていた私だったが、
そんな私の気持ちを蘇生させてくれる人たちと出会い、
幸せなひと時だった。
心身脱落なんだなぁと、感じた。
中野民夫さんのWSだった。
何と自作の歌のギターの弾き語りから始まった。
その歌詞が深かった。
私が感じて来たこと、感じていること、そうだなぁと思っていること。
その言葉をそのまま、歌にしていた。
愛があり、哀しみがあり、共感があり、救いがあった。
わたしは、その歌を歌いながら、涙が流れた。
何だろうか・・・。
こうして素直に、あるがままを、歌ってくれる人が、
いなかったなぁの感動だった気がする。
繋がろうではないと、よく分かった。
既に、私たちは繋がっているからこうして生かされているんだの気付きだ。
この歌に共感すると言うことは、
共感する同じ感性や魂をみんながもっているということだ。
それぞれなんだが、一つで、同じだ。
その同じ部分を分かち合う。
その同じ部分が、本音と言われている部分だろう。
その本音だけで生きる。
自然体で生きるとは、そうした本音でそっと静かにしなやかに生きること。
中野さんの「あり方」「たたずまい」「話し方」「歌い方」
そのことから、こちらに自然に染入るものが確かに在った。
まず、好きになる。
そして、こうやって生きられたら幸せだろうなぁと感ずる。
本当は、私もこうやって生きたかったなぁの想いでもあった。
そして、リスペクトだ。
深く深く生きている人に対しては、
出会っただけで、このリスペクトを感ずるものだ。
久しくこういう仙人のような人に出会っていなかった。
私の周りには、「俺が」「私が」の人たちばかりだ。
「俺がいない人」「私を感じさせない人」
その人こそ、自然な人なんだと、改めて感じた。
地域社会でのどん底評価の私も、
ここならば、この人たちの中ならば、素直に、あるがままで生きられる。
これでも、いいんかなぁと、自尊だったな。
その後、出会った人たちと対話した。
みんな深いところで感じたことを語ってくれた。
その言葉一つ一つが発見だった。
ああ、これでいいんだの、気付きでもあった。
自分自身という言葉をを二段に分けて表記した。
そしたら、驚いた。
後ろの二字を縦に読むと、「分身」となったからだ。
そうだ、分身なんだ。妙に合点だった。
私たち独り独りは、あるものの「分身」である。
そして、それぞれが全く違った人生を歩み、今に至っている。
数多の悲しみ、数多の苦しみ、数多の挫折、でも数多の喜び。
その体験から感じたことを、「言葉」に顕す。
あるものの分身である私たちは、
本音で深くを語る時、
きっとあるものから託された「言葉」を語る巫女となる。
分身と分身とが出会い、語り合う。
そして、何かに気付き、感動し、涙を流す。
そして、今日からまた、独りの分身として生きて行く。
でも、きっと独りではないはず。
それは、私は「分身」であるからだ。
そして、「分身」で、この世界は満ちているからだ。
だから、今日もあるものに生かされる旅を続ける。
またいつかきっと出会えるはずの、「分身」を求めて。
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