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from: クマドンさん
2019/06/11 05:21:45
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合掌造りの郷
白川郷の合掌造りの郷に行って来た。
川のつり橋を渡ると、そこには合掌造りの集落があった。
そこで暮らし、日々の生業をしている人たちだ。
観光地となり、外国からも多数の観光客が大型バスでやって来る。
私たち12名は、中国や台湾、メキシコ、インドから来た人たちに囲まれた。
その国の原語がこの日本の原風景の中を飛び交っていた。
「ここは、日本なのか・・・」の驚きだった。
300年以上の歴史だった。
その時間の流れが造った集落でもある。
新たにそれを創り出しても、
このような集落にするためには、
これから300年間をかけねばならない。
だから、今ある建物を大切に大切に保存して暮らしている。
ヨーロッパの石造りの文化とは違い、
日本の家屋は、木造だった。
つまり、それだけ弱く、脆く、倒れやすい性質を持っている。
そのために、長く保つための工夫が凝らされる。
あの梁の太いことはどうだろう。
横には雪の重みで曲がった木をわざわざ使うそうだ。
家の真ん中には大きな囲炉裏が切ってあり、
火を絶やすことはない。
その煙で燻して、屋根の萱を保護している。
萱は昔は60~50年に一回替えればよかったそうだ。
しかし、今は、その煙が絶えるおかげで、
30年くらいになったと言う。
しかし、そうやって未だにこの建物を保護している。
ここには、300年間暮らした、祖先の霊が充ちている。
この大きな建物で暮らしていた無数の人たちの想いは、
今でもそこに感じられる。
歴史が在るということは、その祖先の想いが遺されているということだ。
その想いを感じないで、ここで暮らしている人は居ないと思う。
今は、個々の暮らしであっても、
その個々は、祖先からの連続した個々である。
父や母から、祖父や祖母から、そしてその先に生きた人たちから、
語り伝えられ、また、生き方そのものとして、
受け継がれた伝統が必ずあるはずだ。
そのことは、その個々の人たちの血となり、肉となり、生きている。
生き方や考え方の基本は、そこにある。
つまり、歴史と伝統の中で生活している人たちには、
祖先の生き方、考え方というモデルが既に存在している。
今回の旅で感じたことは、それだった。
土蔵造りの白壁が、川の用水を背に建ち並んでいる古川町。
正に、江戸時代から守り、受け継がれた伝統を感じさせられる静かな街だった。
街がもっている風情とでもいうのだろうか、
その風情の中で、土地の人たちはそれを生かした生業を続けている。
つまり、そこに生きる人たちはその文化を自ら継承しつつ生きている。
高山の「宮川の朝市」もそうだ。
あの川が滔々と流れているから、そこに何百年と朝市が立っている。
それを、守り、受け継ぎ、生業としている人たちの文化。
そんな文化を感じさせられた。
実は、「新潟市」には、この「山の下」には、それがない。
つまり、守り続けるものが無いということは、
目指すべきモデルも無いということだった。
街並みはどこをあるいても、どこにもある街で、
その個性と歴史と文化と伝統を感じさせられる場所は、
本当に少ない街だと言うことだった。
日本の原風景。
日本の文化・伝統。
日本の魂の原点。
それを知っている人は、そこで生業をして生活している人と、
外国から遥々やって来る観光客なのではないかという、
そんな気付きが、この旅で私には生まれた。
「日本」とは、どんな国なんだろう。
そこで暮らす「日本人」とは、どんな人たちなんだろう。
合掌造りの集落で、少数民族であったわれわれ12名の1名として、
私は、「日本」を改めて、探す人となっていた。-
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