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from: クマドンさん
2019/06/12 05:28:25
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ジャンヌ・ダルクの生き方とは
リック・ベンソンの映画「ジャンヌ・ダルク」を二日間分けて観た。
深く深く考えさせられた。
神からの「啓示」「徴」とは、何かの「問い」だった。
ジャンヌは、ただ田舎の村に暮らす少女だった。
フランスは当時、イングランドに侵略されていた。
その軍隊が突然、彼女の村を襲った。
殺戮と略奪と恥辱の地獄だ。
クロゼットに隠れていた姉は、
彼女を助けるために彼女クロゼットに入れ、
自分は外に出た。
姉は彼女の身代わりになり、残酷な最期を迎えた。
生き残った彼女に、風や雷と神からの剣として、
神様からの「啓示」「徴」がやって来た。
彼女は全身でそれを感じ、受け止め、その「意味」を悟った。
彼は、臆病にも戦いに出ない、次のフランスの王に会いに行く。
そして、フランスからイングランドを追い出し、
聖地に置いてこの王を戴冠させると、彼に伝える。
そんなバカげた夢物語を誰も信じるはずはなかった。
しかし、彼女自身の「信念」と「輝き」を観て、
王は、その「言葉」を信じ、軍隊を進めることとした。
そこから、侵略者をフランスから追い出す熾烈で壮絶な戦いが始まる。
戦いは、彼女の雄叫びと檄から始められた。
戦いの「正義」は、我らにある。
これは、「神様の思し召しだ」と、
軍旗を独り手に取って、単騎で戦列から離れ、敵陣へ檄を飛ばす。
連戦連勝。
どんな苦境に立たされても、彼女は諦めず、戦いに向かう。
そして、その姿に兵たちは鼓舞され、狂気となって敵を倒し、殺しまくる。
その全身は、血みどろとなる。
そして、「はっ」と気付く。
これは、本当に、神様が望んだものなのかと。
彼女は、王の裏切りにより、イングランドに渡される。
宗教裁判にかけられる。
彼女は、告解を求め、神様からの赦しを心から求めていた。
しかし、神様の意思に寄り戦った彼女は、
神様を冒涜する異端者として、「火あぶりの刑」に処せられる。
その火の中で、彼女は、何を観たのだろうか。
幻の僧侶が彼女の獄に現われる。
「お前が観た神の徴とは、おまえがそうしたいと思った徴なのだ」と。
もし、そのことを了解したら、
彼女のそれまでの戦いの「意味」は、全く違ったものに変貌する。
彼女は、彼女の復習のために戦ったのではなく、
神の「啓示」神の「御心」によって、「徴」によって戦ったのだ。
さて、その「真実」は、一体何だったのかは、
炎の中で焼かれ、死んでいく、彼女しか分からないことだと、
映画は、ラストを迎える。
「信ずる」ということは、「疑いが無い」ということだ。
「使命」とは、「自分の想いを超えた」神様からの「啓示」である。
この戦いは、「復讐」ではなく、フランスの民を救う「正義」の戦いだ。
しかし、王から裏切られ、敵であるイングランドに売られ、
信仰の柱である、教会のビショップたちから、「異端者」と呼ばれ、
最期は、「火あぶりの刑」になった。
神様は、彼女の罪を赦し、救われたのだろうか。
神様の声に聴き従うか、世の中に聴き従うか、
どうその生涯を全うするのかの「問い」そのものが、
ジャンヌなんだと、私は、考えた。
それでは、私は、どう生きるのか。
十字架上のイエス様が、観た光を、
きっと彼女も観たのだと、私は、信ずる。信じたい。-
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