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  • from: クマドンさん

    2019年07月15日 08時02分21秒

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    クリスチャンとして生きるとは

    昨日は、クラッシックの夕べだった。
    東京交響楽団。指揮者は若きイタリア出身のイケメンである。
    とにかく、前夜の飲み過ぎの旅で疲れ切っていたので、
    日曜日は、礼拝と休養の日として、机に向かっての事務処理と手紙だった。
    濱田さん、ごめんなさい。田村さん、ごめんなさい。だったな。

    朝、8時に会長の所に行き、役を降ろさせてくださいとお願いに行った。
    これ以上、批判の中を役をやることもないと思ったからだ。
    「そうかね」と、その世間というものを二人でしみじみと味わった。
    親鸞だなぁと、そう感じた。
    とにかくほっといてくれない。あっちこっちで言いふらす。
    仕方ない。その口を止めることは私には出来ない。
    世間だなぁと、本当に感じた。

    礼拝では、30年ぶりの出会いだった。
    私は、「メサイア」を歌い、教会に行った。
    その歌詞に書かれてある聖書の意味が知りたかったからだ。
    そこに、偉大な師が居た。
    私は、このS牧師に出会わなかったら、洗礼を受けなかったと思う。
    そして、私が教会を離れ、信仰を見失っている間も、私の為に祈ってくれた。
    その期間が30年余りある。

    その偉大な師が、北海道からこの4月に帰還した。
    I教会の牧師として、80歳での牧会だった。
    私が尊敬してやまないその師の帰還に、私は間に合うことができた。
    私は、山の下福音教会に導かれた。
    母が亡くなり、父が亡くなった。私は大きな罪を負っていた。
    その荷をイエス様の十字架によって、軽くされた。贖われた。
    不思議なことに、信ずることが、当たり前になった。

    そして、52歳の彼の息子Yさんが、牧師としてN教会に赴任した。
    彼は、4年間ある病で苦しみ、昨年は生き死にの境を彷徨ったそうだ。
    その彼が高校生の時から、私は彼のことを知っていた。
    そこで、讃美歌を歌い。歌うことが私の与えられた奉仕だと悟った。
    彼は、音楽を専攻し、音楽の道を突き進んだ。
    聖歌隊を募り、イブの夜にはキャンドルを持ち、私も街頭で歌を歌った。
    彼は、私の歌の師である。

    信仰の師と歌の師が、共に、30年ぶりに新潟に帰還した。
    そして、その前に、私が山の下福音教会に救われた。
    もし、私が信仰を失ったままであったら、
    どうやって、二人に出会うことができただろうか。
    ずっとずっと放蕩息子であったなら、
    どんなに二人のことを哀しませることであっただろう。

    Yさんの説教を聴いた。
    涙が自然と溢れて来た。
    「何という驚くべき恵み」という聖歌のように、
    その今、ここに、私は心から感謝し、讃美した。
    彼と共に、こうして教会で讃美歌を歌えることの幸せだ。
    信仰を与えられて本当によかった。
    讃美歌を歌えて本当によかった。
    この父と息子に出会えて本当によかった。

    それは、私が望んだものではなく、主が与えられた恵みだった。
    この30年後の三人の邂逅を、主の御計画であったと信じている。
    私は、「信じる」人となった。
    それが、本当に感謝だった。

    30年間の空白は、三人の中には無かった気がする。
    その不思議さを、つくづくと感じ、味わった。

    彼が言った。
    「クリスチャンは、クリスチャンとして生きることです」
    「その人の生き方によって、人々は信仰というものがどういうものか分かります」と。
    恥ずかしかった。まだまだ、どうにもならない私だ。

    世間からは、「あいつは、駄目だ」「いい加減なやつだ」と、言われる。
    しかし、世間とはきっとそういうものなのだとも、考えている。
    私は、世間ではなく、繋がるべきものと繋がっていればいい。
    独りで、犀の角のように歩めばいい。
    せっかく恵まれたこの信ずる心をそのままにして、
    この心の声と、その心が命ずることをすればいい。
    偉大な師と音楽の師は、この新潟に帰還した。
    ならば、世の中かから迫害されても、
    それはそれ。じっと耐えて、生きることだ。

    二人の師に恥じる生き方は、できない。
    Yさんに言われた。
    クリスチャンは、クリスチャンとして生きなさいと。
    世間はきっと笑うだろう。「何を言ってんだ。あいつがか」と。

    居多ケ浜に流罪になった親鸞のことを想う。
    西郷さんも、二度も遠島の罪を負わせられた。
    その孤独の中で、その魂だけに語り掛けた言葉があった。
    世間ではなく、人ではなく、その見えない大いなるものの語り掛けだけを信じた。

    そこにしか、これからの私の生きる道は、ないようだ。
    本当に愚かで、いい加減で、罪深く、どうにもならない男である。
    しかし、私を批判するその人は、どうなのか。
    その「問い」を持たないから、きっと他人のことをとやかく言えるのだろう。

    役を降りた後に、Yさんを通しての神様からのメッセージだった。

    私は、こんな私のことを「尊い」と見つめ、絶対に見捨てない神を信ずる。
    他人は、もういいかな。
    そんなことを想いながら、Yさんと教会の姉妹たちと愛餐をした。

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