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  • from: クマドンさん

    2019年07月20日 08時10分28秒

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    やられた。絶句。言葉にならない。存在する力そのもの。

    闇の力なのかも知れない。
    人は、その力によって操られている存在なのか。
    自分が生きているとは、知っている。
    自分の意思で生きていることだった。
    しかし、その意思も欲望も夢も希望も、
    もし闇の力によって吹き込まれたものだったとしたら、
    それは、自分が決めたことになるのかの話だ。

    生まれて来るもの、湧き上がって来るもの、どうにもならないもの。
    それにとらわれ、葛藤し、苦悩し、哀しみ、痛み、苦しんでいる。
    「人生とは、悲劇にほかならない」と、大拙さんが言っている。
    悲劇だと認める。
    それは、本心ではなく、人としての業の為せること。
    私は、その業からの声となり、その声のまま生きたいともだえ苦しむ。

    欲しいものは、決して手に入れられず、
    たとえ、手に入れたとしても、瞬く間に消えて無くなる。
    いつまでも在り続けるものはなく、
    全てのものは変化して、私に背中を向けて去って行く。

    遺されたものは、「孤独」そのもの。
    悲劇の舞台を生き延びて歳をとると、
    その業に生かされたままの生き方の「虚しさ」「哀しみ」を知る。味わう。
    思い通りにはならない。
    そんな当たり前の事実を前にして蹲り、絶句する。

    そこに、「愛」が顕れる。
    それは、この地上のものではなく、天からやって来る天啓だ。
    愛である天使がその孤独を優しく包む。
    その孤独の人が気付かない間に、そっと顕れる。
    今、ここで、絶望し、哀しんでいるその人は、
    天使の愛に包まれていることを知らない。感じない。
    でも、知ることが、在ることではなく、
    在るから、知ることができるんだ。

    絶望と孤独と哀しみとは、その在ることを感じさせてくれるチャンスとなるはず。
    きっと、そこを経ない限り、
    この傍らにずっとずっと私が生まれた時から、
    いや、生まれることを予感された時から、
    いや、私の父や母が生まれる以前から、
    その愛は、ここにあった愛と出会えないのが人なんだ。
    だから、きっと悲劇の舞台は、愛と希望いう救いで完結するはすだ。

    孤独と哀しみの魂は、その愛によって抱き上げられ、
    心に確かなる希望の炎を宿す。
    その炎こそ、決して、消えない。騙されない。真実真正の光となる。
    人は、その天からの愛によって、その光を魂に宿す。
    いや、眠っていたその魂の命そのものが蘇る。
    それは、正に再生そのもの。
    再生した人にしか、人としての本来の輝きは光らないものだ。

    私は、愛を感じた。
    私は、愛をさらに信じた。
    あの孤独な魂は、私だった。

    さて、その愛を深くで感じ、味わい、
    その愛の無限なる永劫の力・働きを信じた私は、
    いったいそれからどう生きるのか。

    「Mirroring-それは尊き光のごとく」
    第二幕は、新作「FratresⅠ」

    祈るしかない。
    それは、祈願である。
    迸る魂のパッションをじっと矯め、養い、待つ。祈る。
    そこは既に孤ではない。
    孤であることで、みんなとなる。
    「信」という一つに融け合い、闘い、祈り、切望、希望。

    あの神々しいまでの力強さは、何なんだ。
    人とは、こんなにも逞しく、鋼のように精錬され、強くなるものなのか。
    そのパワーに圧倒される。
    それは、「神ながら」の力と輝きだ。
    私は、それを観た。感じた。体感した。絶句した。
    私が信じているもの。
    それが、ここに顕わだ。
    在るとは、力そのものなんだ。

    そして、その瞬間がやって来る。
    それは、全く予期せずに、突然、ざーーっと降り注ぐ。
    降り注ぐ。降り注ぐ。祈りの背中に、それは降り続く。止むことはない。
    「やられた」「まいった」言葉にならない。
    身体が震えて、涙がいつしか嗚咽となった。
    なんなんだ、これは。
    これはまったくあの世からの到来だ。

    人々は、円になった。
    じっと真ん中を見つめて、祈る。
    その祈りがまったくの1つだった。
    孤孤であるが、一つの輪だった。
    これが本来の人のどんと腰の据わった姿・形。
    沈黙しつつ、待望する祈りの集合体。

    そのど真ん中に、また、再び降り注ぐ。降り注ぐ。降り注ぐ・・・。
    私は、この降り注ぐを、ただ信じた。
    きっと私の信仰は、この降り注ぎなのだと、感じた。
    降り注いでいる。そして、それは、けっして、絶対に止むことは無い。
    何故なら、ずっとずっとそれは降り注ぎ続けていたから。
    そして、これからもずっとずっと降り注ぎ続けるからだ。

    幕が降りた。
    暗転。

    絶句。

    これを語りたいと願う私。
    しかし、言葉はこれには無力なままだ。
    これを顕わにするためには、言葉そのものを新生させる必要がある。

    Noism15周年記念公演。2019.7.19 りゅうとぴあ劇場 3列14番

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