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  • from: クマドンさん

    2019年07月25日 05時56分31秒

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    あらゆるものには「意味」がある

    飲んだ日の翌日は、やっぱりこれを書けない日となる。
    二日酔いにはならないために、日本酒は控えている。
    ちょっと酔った程度で抑える。
    平日の飲み会では、二次会へは行かない。
    バスの時刻に間に合うように帰ることにする。
    賢くなった。

    それは、どれだけ「失敗」や「反省」、「後悔」があったからだ。

    ある本に書いてあったことだ。
    苦しみや、辛さ、哀しみ、挫折等を通してしてか、人は成長しないと。
    私は、自分自身を振り返ると、その言葉が腑に落ちる。
    その通りだからだ。

    ということは、本来は避けて通りたいそのことに、
    本当に人が人間として成長するためには「意味」があったということだ。

    人は、その「意味」を感ずるならば、生きられる。
    それは、フランクルの言葉にも言われていることだった。

    アウシュビッツ収容所で過酷でいつ殺されるか分からない日々を、
    彼は生き延び、生還を果たした。
    その彼が言うには、死んだ人と生き残った人と違いは、
    「希望」をもっているかどうかの違いだったそうだ。
    「もう駄目だ」と思った人たちは、その通りになった。
    「ここでは死なない」「生きてまた家族に会いたい」「自分の仕事を成し遂げたい」
    そう想いつつ、日々の労苦を受け入れた人たちは、生き残ったそうだ。

    次に、「愛と死」にはこんな言葉が記されてある。

    「私は毎日毎時、死の危険にさらされていた。
     そこで私は天と契約を結んだのであった。
     すなわち、私が死ななければならない運命ならば、私の死は私の母に
     生き永らえることを贈るのであった。
     そして、私が私の死まで苦悩を耐え忍べば忍ぶほど、
     私の母は苦しみの無い死を迎えることができるのであった。
     私は私の生命が意味をもつときにのみ生きることができたのである。」

    死にも意味がある。
    苦しみも意味がある。
    そう思って、そう信じて、この死とこの苦しみとを母の為に使ってくださいと、
    神様と契約をしたというのだった。

    不思議なことだが、何だかとても「意味」が分かると言うことは、
    今、ここに、どうして私が生きているのかという「問い」の答えが分かることだ。
    そして、その答えが分かったのなら、その意味を信じて生き続けることだ。
    その「意味」が露わにしてくれた言葉こそ、私の日々の生きる道標となる。
    その「意味」は、私が歩むべき道を示す。
    「この道を行きなさい」
    「意味」とは、自らが創りだすものではなく、
    向こうからやって来るものだからだ。

    いや、既に、私にはその「意味」が与えられ、
    その「意味」に導かれ、その働きに拠ってここまで生き延びて来たような気がする。
    アウシュビッツではないが、私だって何度も死ぬ目にはあったし、
    絶望してどん底に落とされた。もうだめだとも思った。
    それでも、今、ここを生かされているのには、
    その「意味」の働きのおかげさまなんだと、今は信じている。

    私が生きることが少し楽になったのは、
    きっとその私の「意味」を信ずることができるようになったからだ。
    「人から嫌われてもいい」と、そんな風に想えるようになっこともそうだった。
    トマトはトマト。キュウリはキュウリ。ナスはナスなんだ。
    私は、トマトとしてこの世に生かされ、トマトとしての意味を託された。
    だから、私は、成熟しした美味しいトマトになればいい。
    そして、そのトマトになるためには、この「意味」を与えてくださった神が、
    全てのことを知って、日々のお世話をしてくださっているはずだ。

    そのことを、信じられるかどうかなんだ。

    フランクルは、神を深く深く信じ、その「意味」である自分を生きた。
    どんな状況に追い込まれても、そのことの「意味」を考えた。
    そして、人を見ないで、神との契約の中で「希望」をもって生き続けた。
    アウシュビッツからの生還は、彼の人生の「意味」だった。
    彼が、そこを「意味」を考え生き延びることで、
    こうしてどれだけの人たちが、今も、ここで救われていることか。

    人は、きっとその「意味」を伝え、受け継ぐために、この世に生きている。
    だから、まず、その自分だけに与えられた生存の「意味」を問うことだ。
    そして、既にそれは与えられているのだから、まずその「意味」に気付くことだ。
    気付いたら、迷わずに、余計なことを考えず、たとえ人から嫌われても、
    その意味を感謝しながら実行することだ。

    しかし、弱くて、愚かで、思ったことが実行できず、安きに流れる私だ。
    その時は、また自分自身の弱さと愚かさと罪深さとを告白して、
    神様の助けを求めることなんだな。
    そうやってしか、私自身の成長は在り得ないことを、
    その「意味」そのものが私に教えてくれている。

    こんな言葉もこの本には書かれてあった。

    「心の中の言い表せない願いが叶う」

    「愛することは許されること」 渡辺和子著
    毎朝、3時半に起きて1時間、この本を読んでいる。

    トマトは美味しいトマトになることだ。
    それは、きっと与えられた「意味」として日々を生きることなんだと、
    神様から教えられた気がした。

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