新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2019年07月30日 05時55分55秒

    icon

    今、ここ、これだけ。

    何もしない日と決めた。
    暑い暑い夏の一日。休養を第一のことにしている。

    朝のルーテーンは、いつものようにだ。
    3時半には目が覚める。それは、扇風機が止まったからだ。
    暑さで目覚める。本を読む。
    先日、途中で投げ出そうとした本があった。
    ところが、値段が高かったので諦めきれずに最後まで読んだ。
    目から鱗だった。
    「えっ、これを私は求めていたんだ」の言葉と出会った。
    「信ずること」が、幸せになることであったと、それによって信ずることができた。

    途中で投げ出していたら、この言葉たちには出会えなかった。
    そういうものなんだなぁと、この出会いから、続けることの大切さを学んだ。
    そこで、止めない。
    そこで、投げ出さない。
    その先に、何が在るのか分からないからだ。
    だから、やってみる。続けてみる。その途中を期待しつつ歩く、歩く。

    今、読んでいる「老子」もそうだった。
    何だかずんと心に響かない。
    老子をビジネス書のようにして書いてある。
    求めている言葉ではないという違和感を感じつつも、
    やっぱりこれも最後まで読もうと心に決めてトライしている。
    今朝も3時半だった。
    それから1時間本を読む。

    読みながら、私は、自分自身の生き方に置き換えて考えている。
    「そうだよなぁ」「そう生きたいなぁ」と、思う。
    そうした言葉は、記憶にも止まらない、それはすーっと忘れる。通り過ぎる。
    以前は、忘れることを無駄だと感じた。
    だから、言葉を覚えようと努力した。
    余白にびっしりと言葉を書きこむ。
    小さな手帳に言葉を記録する。
    そして、折に触れてその言葉を改めて見つめ、その意味を味わう。

    今は、言葉がどんどん私なんかを通り過ぎる。
    さっき読んだ「老子」の言葉は、今は、この記憶には無いようだ。
    でも、それでいいんだと、思えるようなった。
    「味わった」そのことだけで、充分だからだ。
    昨夜、美味しいズワイガニを味わった。
    そのカニは今はどこにも無くても、味わったことには変わりない。
    そのカニのいのちが、私の今の血となり、肉となっている。

    本を読む。言葉を味わうとは、それと同じことではないだろうか。
    きっと、そこで出会った言葉は、記憶には無くても、
    魂には血となり肉となり、身についているのだろう。
    だから、過ぎ去ることや、通り過ぎることに、頓着しないことにしている。
    味わったものは、きっと自分の中の何かに変化して残っているからだ。

    早朝、庭と塀の下の草取りをした。
    不思議なんだが、暑さの中で仕事をして汗を流すと、
    この同じ部屋の温度が涼しく感じられる。
    だから、朝は外に出て、少しだけ庭仕事をする。
    すると、気分がスカッとするのは、やっぱり人は身体を動かす生き物だからだ。
    暑いからじっとはしない。
    暑いから身体を動かす。汗をかく。

    それから、鬼の居ぬ間にとばかりに、ダイニングとリビングを整理整頓した。
    そして、要らないものは片づけ、隠し、あるべきところに戻した。
    そして、がーっと掃除機をかけた。
    すっかりときれいになったダイニングで、コーヒーを淹れて飲んだ。

    そういえば、一つの物語を書いたのも、その早朝だった。
    こうして、長男が車で出勤するのを手を振って部屋から見送るこの時間に、
    私は、この「親父たちよ」を書いている。
    空っぽになって、どんどんキーを打っていると、
    私がそれを書いているのではないような錯覚を感ずる。
    世の中から否定され、批判される私である。
    「ああ、どうにもならないなぁ」と、申し訳なく思うことがある。
    それでも、私は、自分であり続けるために、これを書く。

    続ける。止めない。いつも途上だ。
    しかし、こうやって考えることで、気付き、発見することが多くある。
    確かに、そんなことに何の「意味」があるのかは分からないが、
    何だか、このまま、いいつまでも書き続けたいと、思うから、書くだけだ。

    「幸福は、すでに存在している」
    「ただ、そのことに気付いていないだけだ」
    「そのことを味わえば、自分が今、ここで、幸福であることを覚了できる」
    「ただ、あるがままをあるがままに信ずればいい」
    「本当は、とてもシンプルで、簡単なことなんだ」

    もう終わったことではなく、これから起ころうとすることでもない。
    後悔や不安は、要らないことだ。
    ただ、今、ここ、この今を「味わう」「感ずる」「考える」
    その即今に、「幸福」はある。

    心が迷走しだしたとき。
    あれもこれもああ・・・と後悔するとき。
    これからいったいどうなるのか・・・・と不安におもうとき。
    実は、このことは全く実体のない幻であると気付くことだ。
    そうであったから、どうなんだ。
    そうであると思っていても、そうなるとは限らないではないか。
    自分勝手に作った妄想に心が支配されると、どうどう巡りで出口なし。

    私は、あるときから、「思い通りになることは、一つも無いんだ」と気付いた。
    「人の心は変えられないんだ」と分かった。
    「全てのものは変化し続けているんだ」と悟った。
    ならば、そんなものに悩まず、苦にせず、人からどう想われようといいではないかと、
    心に決めた。

    確かに、独りは寂しい時もある。
    人を求めてしまうこともある。
    しかし、求めて拒否されると、もっと深く寂しさが増す。
    だから、人を求めないことも、心に言い聞かせている。

    昨日、友と語れた。
    嬉しかった。

    昨日、ヨガをした。
    心地好かった。

    さてさて、今日はどんな一日になるのかは、
    まだ誰も分からない。
    そうなんだ。何も、この先に何が起きるのかは、誰にも、分からないことなんだ。

    ちょっと待った。
    今、雀が鳴いている。東の空の光が増してきている。
    その先って、いったいどこにあるのか。
    昨日って、いったいどこにあるのか。

    「今、ここ」これがあるがままにあるという、「今、ここ」

    本当に「今、ここ」だけが、在るんだな。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件