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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/08/11 08:45:04

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    6日「ねぶた祭り」の旅をした

    昨日、ここに書いた旅行記が消えてしまった。
    私の単純な初歩的なミスだった。
    最近、こうした物忘れやミスが立て続けに続いている。
    自戒を込めて、ゆっくり、丁寧に、振り返ることを心掛けている。

    6日青森のねぶた祭りへの弾丸列車に乗車した。
    この臨時列車は、各旅行者が相乗りをした、
    ただねぶた祭りだけのツアーだった。
    7時に新潟駅を出発する。4時に青森駅に到着する。
    そして、5時に再集合して、30分間歩いて、ねぶたの桟敷に行く。
    桟敷は工事現場の足場のようで、100㎡ほどもあるだろうか。
    二階建ての窓と同じくらいの高さだった。
    これかせねぶたの桟敷席かと、やっぱり何でも経験することだと思った。

    時刻になった。
    勇壮な太鼓の音が通りに響き渡った。
    その次に、笛や鍾での賑やかなお囃子が続く。
    みんな法被にねじり鉢巻きで、笑顔だった。
    その後に、跳人が続く、何百人とその跳人たちが踊り、掛け声を出す。
    「らっせらー、らっせらー」と、そのパワーに圧倒される。
    そして、ねぶたが登場する。
    正に絵巻物の華やかなる色と光との世界だった。
    その迫力には、心から魅了された。言葉が出ない。歓声と溜息だけだ。

    その集団が、次々と続く、続く。
    途中、歩いている人が少ないなぁと想ったら、ここに居た。
    青森の人たちは、ここに集結して、祭りを楽しんでいた。
    祭りとは、こっちから見るものではなく、参加するものだ。
    ここでは、正装をしているなら、誰でも跳人になれる。
    浴衣に三尺で両肩に袈裟懸けで縛る。鈴をつける。
    飾りのついた傘を被っている若者も多い。

    中学生や高校生の女子たちがはじけるような若さだった。
    若い女性は、その女性らしい佇まいで魅せられる。
    とにかく、青森は、美男美女ばかりなんだな。
    それも、身長は170m以上の長身のイケメンたちだ。
    その人たちが自然に周りに居ると、
    そのような人たちに育つのだろうか。
    着物姿だから、いっそうその艶やかさが光っていた。

    祭りは、庶民たちの活力だ。
    それまで秘めていたもの、耐えていたものの爆発であり、解放だった。
    これがあるから、明日からまた生きられる。
    本気で自分自身を燃やす。叫ぶ。踊る。暴れる。
    そのパワーが一体となり、一つとなって迫って来る。
    そのパワーは、そして、乱れることなく、一つの調子にまとめられる。
    それが、あの大太鼓と笛と鍾のお囃子の音だった。

    「らっせらー、らっせらー」の掛け声と踊りとは、
    その集団に参加している人たちの心を一つにする魔法の力だ。
    同じ踊り、同じ掛け声、まさにデモ隊のシュプレキコールと、行進だ。
    私は、何だかあの熱気に革命のパワーをも感じた。
    この勢い、流れが一気に権力に向かって行ったら、
    きっと誰も止められないと感じた。

    祭りはやるべし。伝統は守られ、受け継がるべし。
    この祭りは始まりからずっとここまで受け継がれて来た。
    そして、これからも次の世代が受け継いで行く。
    そして、そのクオリテーは一層高められる。
    ねぶた師たちの技が磨かれ、競われる。
    完成は無い。いつも、途上だ。だから、続く。

    あの中で踊れたら・・・。と思った。
    太鼓をやっているので、あのねぶたのリズムを覚えたかった。
    できれば、あの大太鼓を渾身の思いで叩きたい。
    そんな祭りを継承している青森市の人たちが羨ましかった。
    あの太鼓を叩くとは、その伝統の中で生きる独りとなることだ。
    私は、いつしか自分で膝を叩きながら、太鼓の音を真似ていた。

    青森は、私の大好きな街になった。
    それは、私が昨年の9月に、この街を旅したからだ。
    そこで、私は至る所で縄文に出会った気がした。
    そして、ねぶたや津軽三味線という伝統の技を磨く匠たちに出会った。
    それは、この街の空気を肌で感じ、匠に出会い、その業の凄さを感じたからだ。

    ここに居て、青森を感ずることはできない。
    昨年、本物のねぶたを観て、このねぶたが動く様を目の当たりにしたいと願った。
    それか、今回の弾丸列車旅行となった。
    次を想わず、行ける時は、行ける機会があったら、行くべしだ。
    それが、いつしか私の独り旅の鉄則となり、信念となった。

    旅をする。
    その土地を訪れる。
    その土地の伝統や文化に触れる。感動する。
    そして、その土地の人たちと触れ合う。
    人たちは、旅人にはとても親切で、優しいものだ。
    みんな、自分たちの故郷を誇りに感じている人たちだ。
    だから、わざわざ遠路はるばるその故郷を訪ねてくれる旅人には優しいものだ。
    その温かな人情に触れる。

    旅から帰る。
    我が家に帰る。
    すると、何かが違って見える。
    何だか自分自身が、あの街の人たちのように温かな人となっている。
    自分の住み慣れたその街の風景を改めて見直したりする。
    暫く会わなかった、庭の花たちの成長を感じて、新鮮な気持ちで見つめられる。

    旅は、私の心に不思議な作用をする。
    ねぶたに行く前と、ねぶたから帰った時は、やっぱりきっと何かが違う。
    旅はも、きっとそうやって人を内面で成長させるもののようだ。
    「かわいい子には、旅をさせよ」。
    何だか、日常生活に置いての旅の比率が高まって来てから、
    旅によって学ぶことが多くなったような気がする。

    ここに居て分かることもある。
    しかし、あそこに行かねば感じられないことがあるのなら、
    やっぱり、そこに出かけてみることが心と魂との糧となる。

    夜の11時に青森を出発した。
    弾丸列車は、漆黒の闇の中を只管新潟を目指して、走る。走る。
    車内の灯りはついたまま。
    酔いに任せて椅子にもたれて瞼を閉じる。
    すると、あの太鼓とお囃子と掛け声とが、遠くで聴こえるようだった。

    在るものは、消えるものだ。
    その寂しさが、愛おしいのも、旅の味わいだな。

    列車は6時に新潟駅に到着した。

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