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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/08/15 06:28:57

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    8日は七日町の旅をした

    二日間の家族でのキャンプだった。
    涼を求めての標高1300mの笹ヶ峰キャンプ場だ。
    標高は嘘をつかない。
    本当にここは猛暑の中での別天地だった。
    しかし、昨日、山を下って驚いた。
    上越・柏崎では、痛いほどの日差しの強さ。
    暑くて車から降りると、熱風で目眩しそうだった。
    それは、そうだ。
    上越は40度越えの、日本一の気温となっていたからだ。
    たった一時間でのこの気温差に、やはり標高は嘘をつかないことがよく分かった。

    さてさて、会津の旅レポート最後の一日 8日(木)七日町だ。

    この街並みを歩くだけで、気持ちがうきうきとした。
    道路に向かい合っている建物そのものがとてもレトロだからだ。
    そして、昔からの商いを続けている老舗のお店が多いからだ。
    ここには、ずっとこだわりをもって守り続けて来た伝統と文化があった。
    そして、それを受け継いで来た人たちの誇りと気概のようなものすら感じられた。
    私は、猛暑の中、団扇片手に、そのお店や建物の写真を撮りまくった。

    まず、駅の小さな駅カフェが魅力だった。
    置かれている土産物や手作りの小物に、店主のコンセプトが明らかだった。
    すぐ傍のホームに向かったカウンターのガラスは、
    大正時代のそれのように、歪んだ透明ガラスの窓だった。
    ここでの水から淹れたコーヒーは、また格別の美味さだった。
    独自のものを提供する。オリジナル精神に満ちた素敵なお店だ。

    踏切を渡ると、こだわりの「馬肉店」だった。
    ケースの中には、美味しそうな馬肉のブロックが積んであった。
    1200円という表示に心惹かれた。
    帰りに寄ることを店主に告げて、このお店を後にした。

    駅前の阿弥陀寺には、会津の武士や兵、1200体以上が合葬されている。
    1年間も放置された遺体だった。何と惨いことをするものか。
    この戦争は、長州藩の私怨による復讐でしかなかった。
    惨殺・虐殺の歴史の事実だ。
    どんなにか無念であったかと、何とも哀しい気持ちになってしまった。
    ここに、新選組の斎藤一の墓もある。
    彼は後に東京で警察官の長となり、西南戦争で闘ったようだ。

    末廣という造り酒屋にお邪魔した。
    親切に蔵の案内を杜氏自らがやってくれる。
    創業165年間に渡る老舗の酒屋だ。
    新潟市には、この歴史がないことに、改めて気付かせられた。
    江戸から続いている暖簾がどれだけあるかだった。
    それは、やはり城下町としての歴史であり、格式でもあると感じた。
    殿様が居た。武士たちが居た。その子弟を教育する藩校があった。
    そして、その暮らしを支える町人が居た。
    武家には武家の伝統と文化が在り、町人にも同じくそれがあった。

    そうした江戸時代から代々受け継がれている伝統と文化とは、
    何とも堂々と格式をもって、揺るがないものがある。
    その存在感を感じさせるものが新潟市には乏しいと、私は思っている。
    だから、この七日町には一見の観光客である私が、
    こうして興味・関心をもって追求できるお店や建物が多いのだった。

    さてさて、店主が独りで集めた骨董品の品々をその店の2階に展示してある。
    これは、県立博物館より、白虎隊記念館よりも、一級品の資料ばかりだった。
    それも、今回の私の旅の目標である戊辰戦争での越後と会津について、
    とても丁寧に実物の資料を使って説明がなされていた。
    驚いた。この店主、ただ者ではない。会いたかったが、会合で留守だった。
    残念至極。名刺だけは店員に頂いた。
    十字路の角に立つ「新選組記念館」だった。

    それから、野口英世青春館に行った。200円だった。
    二階にここでの野口英世の資料が展示されている。
    彼は、この建物が昔病院であった頃、ここで手の手術を受けたそうだ。
    その時、通りがかった女学生に恋をした。
    その初恋の場所が、この病院の後に造られた資料館だった。
    「へぇ、そうか」のそれだけなんだが、
    レンガ通りという瀟洒な街並みの中に木造のこの建物が立っていた。

    本場の馬刺しがむしょうに食べたくなった。
    会津馬味噌拉麺「馬力本願」のカウンターだった。
    その土地に行き、その土地名物の絶品グルメを味わう。
    それは旅の最上の喜びであり、感動である。
    やはりここでの馬刺しは鮮度が違い、格別な味となった。
    そして、私は、聴いた。「ソースカツ丼の美味い店知りませんか」と。
    何でも地元の人に訊いての行動だった。
    パンフレットは、パンフレット。
    本物の情報は、地元の人の口コミに限る。

    そして、昨年できたばかりの「まり」というお店を紹介してもらった。
    何と南会津のソースカツ丼の名店だそうだ。
    そのお店が七日町に出店した。そのお店は、パンフレットには載っていなかった。
    新しいそのお店は、家族でやっているお店だった。
    お客は、先客の中年男性と、私だけ。
    注文してから待つこと15分。忘れた頃にやって来る。
    「美味い」ただ、それだけ。
    カリッと薄皮の衣と、滋味のある肉に、甘いソースがしっとりと馴染む。
    これか、ソースカツ丼とは・・・。

    70歳近くだろうか、元気な叔母さんのまりさんと話をした。
    これこそ、長年の研究の結果産みだしたこだわりのソースカツ丼だと知った。
    その説明を嬉しそうに語ってくれたまりさんと、親しくなれた。
    自慢のソースカツ丼を絶品と褒める私に、心からの感謝だった。
    「また、来るね」と、笑顔で別れた。
    人との出会いも、旅の味わいを一層深くしてくれた。

    さてさて、馬刺しを買って帰らねば・・・。
    ブロック一つ頼んでみて驚いた。4,200円だった。
    「えっ、1200円・・・」「これ、100gの値段だよ」「そうだよなぁ」
    「お客さん、氷入れないと美味くないよ。300円だよ。」「お願いします」
    私は、クール宅急便の木庭を抱えて、店を出た。
    馬肉にしては、安すぎるとは思っていたが・・・。

    帰りの磐越西線は、2時35分発だったる
    どうせ、ガラガラだろうと思って飛び乗ったら、席がない・・・。
    満員だった。平日のこの時刻の列車なのに・・・。
    しかし、喜多方に着いてよく分かった。
    乗客の大半は、この駅で降りて行った。
    それからは、ゆっくりと足を伸ばしての列車の旅だった。

    それにしても、激動の四日間だったな。
    菊水一番搾りを飲みながら、この四日間の旅を酒と共に味わっていた。

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