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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/08/20 09:37:04

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    「布施の人」叔母ちゃんのこと

    施設に4年前から入っている87歳の叔母が弱っている。
    彼女は生涯独身。本家の家の裏に家を建てて暮らしていた。
    鉄工所で働き、退職してからの長い長い年金暮らし。
    その年金も、額が少なく、よくその年金で生活できていると驚いた。
    それなのに、彼女は、他人によくよく施した。
    「布施」の人だった。

    この私も、彼女から布施を受けた1人だった。
    鬱で長期休職中の私だった。
    52歳だったかな。
    もう職場には戻れないかもしれないな。
    どうやって家族を養っていったらいいのだろうか・・・。と、途方に暮れた。
    そうやってぼーっと生きている私に、
    「クマさん」と言って、我が家を訪れ、1万円をくれた。
    封筒の中のお金を見て驚き、「いいよ、叔母ちゃん」と返そうとしても、
    叔母は絶対に受け取らなかった。
    「ビールでも買って、飲めばいいさ」と、笑顔だった。

    これってあの高校球児のスポーツドリンクだな。
    私は、叔母ちゃんにこんなに心配をかけ、申し訳なく思った。
    そして、この一万円は、叔母ちゃんとってどれだけ貴重な一万円であるか、
    その生活ぶりを知っているから、尚更、頭が下がった。
    それから、時々、我が家に日傘を差してやって来る。
    木戸ががらがらとあくと、「クマさん、居たけ」と、叔母ちゃんの声だった。
    「これノブちゃんにやって」「これは、ノリちゃんに」と、
    千円札が何枚か入った封筒を渡された。
    子どものいない叔母ちゃんにとっては、私も長男も次男も同じ子どもなんだ。

    私があることで家族に迷惑をかけてしまった時、
    私を庇って、守ってくれたのは、叔母ちゃんだった。
    私は、よく相談するために叔母ちゃんの家に行った。
    そこで、いつもネスカフェ―の温かなコーヒーだった。
    「お湯沸かすっけ、コーヒー飲んでいれて」だな。

    そんな叔母ちゃんが、5年前に突然自宅で倒れた。
    それまでも歩くことが不自由であったのに、
    我慢して、そのことを誰にも言わずに、市場に行ったり、山の風呂に入りに行った。
    予兆は、その時に確かにあったはずだった。
    家族が居ない叔母ちゃんのそうした身体の変化に、
    気付く人が残念ながらいなかった。

    救急車で、K病院の整形外科に運ばれた。即、入院だった。
    しかし、治療するのだが、左手と左足の麻痺はよくならず、
    歩くこともままならなくなった。
    そして、要介護の認定を受けて、施設に入らねばならなくなった。

    その頃、私が腹膜炎で死線を彷徨い、手術し、長期入院から復帰したころだった。
    私は、叔母の妹の80歳のT叔母ちゃんを助けて、
    この施設への入所手続きを手伝った。
    そして、叔母ちゃんは、この施設の4人部屋で、孤独に過ごした。
    テレビを観ない。あれだけ好きだった歌も聴かない。ラジオも聴かない。
    何だか生きることの楽しみを自ら拒否しているような生き方だったる

    たまに、私がお見舞いに行くと「クマさん・・来てくれたんね」と、笑顔だった。
    身体を起こそうとするので、いつもそのまま寝たままにしてもらった。
    私も術後のリハビリのために、休職中だった。
    こうして考えると、私の休職中の友は、叔母ちゃんだったような気がする。
    ウオーキングの途中に施設に寄った。
    叔母ちゃんは、そうした不意な来訪をとてもとてもよろこんでくれた。
    長男も、次男も、年に1回は行ってくれた。

    その叔母ちゃんが、衰弱をして口から何も食べなくなったと、
    この日曜日にT叔母ちゃんから連絡があった。
    「個室に移ったんだは。もう長くないみたいらよ・・・」との話だ。
    私は、昨日の夜、叔母ちゃんに会いに行った。
    個室から、また大部屋に移されていた。
    「ゼリーを少し食べましたよ」との介護員さんの言葉に安堵だった。

    「叔母ちゃん、クマだよ。来たよ」と声をかけた。
    叔母は薄目を開けて、窓の方の天を見たまま、すやすやと眠っていた。
    呼びかけても、何も反応することは無かった。
    口蓋を開けて、息をしている。
    口から吸った息を、はーーっとゆっくり長く吐く。
    時々肩をびくっと挙げて呼吸する。
    「ああ、父と母と同じだな」と、私には感じられた。

    庭の花が枯れるように、叔母ちゃんは今枯れようとしている。
    そんな老いて、枯れた叔母の顔を見ると、
    「ああ、もう叔母ちゃんは、ここに居ないなぁ」と、私は感じた。
    「きっとおばちゃんは、亡くなったお母さんや、私の父や母に会っているなぁ」
    何だか、叔母ちゃんが、幸せそうに感じられた。

    「難儀したね。頑張って生きたね。ありがとね。ありがとね」だ。
    「もういいよな。もう十分だよ。お疲れ様だよ」と、真っ白で薄くなった髪をなでた。
    「お父ちゃんと、お母ちゃんと、また一緒にお茶を飲んで、話ししすれば・・・・」

    何だか、「先に逝って、俺が逝くのを待っていてくれね」だな。
    そうか。死とは、亡くなった人たちとの再会でもあるんだな。
    私も、ふと、亡くなった父や母に会いたくなった。
    そしたら、ふっと、気が楽になった。
    「後のことは、俺が何とかするすけ、安心してね」だった。
    私が叔母ちゃんにできる最後の恩返しだ。
    この深き深き恩を、どうやって返したらいいんだ。

    私は、介護士さんに緊急の連絡先として、
    私の携帯番号と自宅の番号をメモに書いて渡した。
    「夜中でも、いつでも何かあったら、すぐに連絡してください」
    その電話が、無いことを祈りつつ。

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