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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/08/21 05:46:16

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    節ちゃんへの恩返し

    さてさて、昨日は親戚のお盆の集まりだった。
    89歳の叔父さんに、同じく89歳の七女・87歳の八女・85歳の九女だった。
    私を入れて、5名のお盆の集まり。
    「これだけになったね・・・」の深い深い感慨だった。
    「みんなで、頑張ろうよ」とは、八女のS叔母ちゃん。
    ここには、今亡くなろうとしている六女の叔母ちゃんがいた。
    そして、今は施設に入っている94歳の四女のA叔母ちゃんがいた。
    そして、五女の母は、6年前に亡くなり、
    私の父は三年前にR病院で亡くなった。
    かっては、9名で賑やかな会でもあった。

    よく六女の節ちゃんが歌を歌った。
    美空ひばりだった。
    歌詞を全部暗記している。
    それも、美しいしっとりとした歌声だった。
    歌の好きな叔母たちだった。
    その後で、みんなで山の歌や、ハイキングの歌の合唱になる。
    今は、その歌声がとても懐かしい。

    さて、会の始まりに、節ちゃんのこれからについての話し合いだった。
    施設で亡くなった場合、そこには医師が常駐してはいない。
    自然に息を引き取り最期を迎えることを、親族でお願いしている。
    痛みは無く、意識は無く、ただゆっくりと衰弱していく。
    枯れて行くと言うのだろうか。自然に朽ちて行く節ちゃんだった。

    緊急事態になったら、直ぐに私の携帯に電話をかけることをお願いした。
    そしたら、私が、この叔母ちゃんたちに連絡をして、一番にかけつける。
    せめて最期の死に水は唇に含ませてやりたい。
    節ちゃんを独りでおくりたくはない。
    最期にはやっぱり「ありがとね」と、感謝を伝えたい。
    頑張って独りで生き抜いて来た節ちゃんだ。
    尊厳をもって最期をおくりたい。

    夜中に亡くなったとしても、死の確認は、医師が出勤してからとなる。
    そこで、初めて死が認められる。
    それからだった、直ぐにご遺体を運ばねばならなかった。
    「どこへ?」だった。
    決めるとは、こういう具体的なことなんだ。
    「この家には連れて来れない」が、本家の叔母の悩みだった。
    「それでいい」が、みんなの答えだった。
    しかし、最期のお別れは、みんなでやりたい。
    「ならば、セレモニーホールだね」と、決まった。

    ただ、叔母は割引対象の会員ではなかった。
    会員ならば、会員か価格で20万円も安くできる。
    家族葬にする。東京の親戚には知らせない。呼ぶ町内の人は誰。
    誰かが会員ならば、その資格で割引がきくようだ。
    いや、今から叔母に会員になってもらったら。
    具体的な話は、進む。

    では、どこのお墓に入るか。
    やっぱりあの西堀の本家のお墓だろうとなる。
    しかし、あの寺の住職は、叔父さんの葬儀で、お布施が少ないと突っ返して来た。
    私の父が墓を頼んだら、墓のお金の半分は寺に寄進せよと言った。
    私は、その住職と喧嘩して、父と母の寺を替えた。そして、助かった。
    守銭奴なんだな、今の、住職。商人の顔だよと、ある叔母ちゃんの嘆き。
    「上人ではなく、商人か」の現実。
    しかし、お墓はその本家の墓で決まった。

    それでは、空き家になったあの節ちゃんの家はどうするか。
    現代は独り暮らしの老人の孤独死が多く、
    その後片付けをする業者が忙しいと聞いている。
    必要な物や、貴金属を遺して、後は、全部処分してもらう。
    これもまた、シビア―な話だが、仕方なかった。
    節ちゃんは、生涯独身で、子どもがいない。
    私たちが、何とか手助けするしか方法はなかったからだ。

    そしたら、叔母たちが口々に、
    「クマちゃん、私の時も頼んだよ」
    「クマちゃん、私もお願い、子どもが遠くらっけ、あんたが頼りらて」
    「私だってそうだよ。あの子たちは、分からないから、助けてもらいたい。」
    そうだよなぁ、だった。

    節ちゃんにもよくよく言われた。
    「あんただけが頼りなんだよ」
    「そうなったら、頼んだよ」と。
    その日が来たのかと、ふと、何だか哀しさだけでなく、身の引き締まる思いだった。
    哀しみを深く味わい、心から感謝を込めて、節ちゃんをおくりたい。
    そのための、具体的な段取りは、全部、私が担うことにした。

    そして、七女と八女と九女の最期も、私が責任をもって担うことを約束した。
    それが、叔母ちゃんたちに可愛がられて、育ててもらったお礼でもあった。
    私の父と母とは共稼ぎだった。
    だから、私を小学校入学まで育ててくれたのは、大婆ちゃんと、この叔母たちだった。
    まだ独身で、会社勤めの叔母たちは、出勤する前、帰宅してから、
    赤ちゃんであり、まだ幼い私のことを自分の子どものように可愛がってくれた。
    その「恩」なんだな。

    愛してもらえた「恩」ほど、深い「恩」はないと思う。
    叔母ちゃんたちは、今でも、62歳になろうとしている私のことを可愛がる。
    今でも「クマちゃん」と呼んでくれる。「ちゃん」づけなんだ。

    節ちゃんに、どうやってその恩を返そうか。
    私は、この現実の段取りをしっかりとやり遂げることが、
    節ちゃんに対する恩返しだと考えている。

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