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  • from: クマドンさん

    2019年08月24日 06時55分41秒

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    自然に最後に向かいながら

    さてさて、節ちゃんだ。
    一昨日は、私のことを理解し、名前を呼んだ節ちゃんが、
    昨日は、全くの無反応で、目に意識も力も感じられなかった。
    目って、とても大事なんだなぁと、感じている。
    目の光とでも言うのか、目の力とでも言うのか、
    目で、その黙っている節ちゃんが語られる。
    何も言わない。何も言えないから尚更そう感じるのだ。

    私たちもきっとそうなんだな。
    目の力をきっと私と出会った人は感じているだろう。
    意識していなくてはなぁと、節ちゃんから教えられた。

    右手を固く硬直させて、それはまるで祈りの形だった。
    左は麻痺しているために包帯で縛られ胸の上だ。
    そう言えばすっかりと痩せてしまった。
    枯れ枝がそうであるようにぽきっと折れそうに細さの腕だ。
    胸もすっかりと薄くなった。
    衰えると言うことは、身体が本来持っているエネルギーが消えて行くことだ。

    病院で私は父と母とを見送った。
    だから、看護師さんが定期的に病室に来てくれた。
    栄養のための点滴があり、時々、脈や血圧を診断した。
    今、思い出したが、ビーコンのような音を立ててて、心臓の心拍数を聴いた。
    病院は、何だか真っ白で、衛生的で、そこは非日常の匂いだった。
    しかし、施設のベッドで、私服で眠っている節ちゃんは、違う。
    自宅での介護は無理だったからここに来たが、
    節ちゃんには、全く医療的な措置は施されていない。

    彼女は、全く病をもたなかった。
    癌で亡くなる人のあの痛みが無かった。
    だから、節ちゃんが苦しそうな、痛そうな表情は全くしなかった。
    身体を痛みでのけぞらせたり、痛みのために拳をぎっゅと握ったり、
    そんな反応が全く無いので、ほっとしている。
    「叔母ちゃん、幸せらね・・・」と、言えた。

    人は、必ず最期を迎える。
    その日は、順番に誰の所にもやって来る。
    さて、その日がどのような日であるかは、
    その人の生前なんだなぁとふと感じた。
    確かに施設ではあるが、節ちゃんは老衰による自然なその日を迎えられるようである。
    私なんか、きっと病院のベッドで点滴とドレーンで苦しみつつかな。
    節ちゃんには、きっとそれがない。
    いつの間にか、すーっと逝かないで下さいとは、節ちゃんに言っている。
    「独りでは逝かないで。何とかみんなで駆けつけるからね」だった。

    昨日は、不思議な仕草を何度も繰り返した。
    眠っていたように静かに息をしていた節ちゃんが、
    何かに驚いたように少しだけ上体を起こし、
    目を少し開けて足元をじっと見つめる。
    何だかちょうどそこに誰かがやって来て、
    その人が節ちゃんに声をかけ、笑顔で立っているようなんだ。
    私もその度に見たが、誰もそこには立っていない。

    節ちゃんは、彼方と此方とをきっとその時行き来しているのだと感じた。
    「フちゃ(私の母)がいたけ?ハルさん(節ちゃんの母)がいたけ?」
    きっと亡くなった人たちが節ちゃんに会いに来たのだろうと、私は感じた。
    私は、その存在を信じているから、
    できれば私も節ちゃんと同じように出会いたかった。
    母と会いたい。父と会いたい。ハルさんと会いたい。
    実は、向こうの方には私が合いたいひとたちばかりだった。
    私と節ちゃんは、そのことを信じているから、幸せだと思う。

    死は、終わりでは決してない。
    死は、死者としての魂としての始まりなんだ。
    死は、ある意味では生まれ変わり。リボーンだ。
    この枯れ枝のような身体が、節ちゃんであるはずはない。
    節ちゃんは、節ちゃんとして、生き続ける。
    在るものは、決して無いものにはならないからだ。
    だから、骨を埋葬するお寺の理屈が私には、分からない。
    その骨が、母であり、父であり、ハルさんであり・・・。そんな訳はないからだ。

    今の節ちゃんにとって必要なことは、言葉だと思う。
    信心だと思う。
    大丈夫。必ず会えるよの約束だと思う。
    その安心を抱いて、この時を過ごさせたい。
    もし、本当の僧侶が居るのなら、今こそ枕もとに座り、
    弥陀の本願を伝えて欲しい。
    宗教とは、いかに生きるか。いかに死ぬかと言うことだからだ。

    残念ながら、私には、その力は無かった。
    クリスチャンの私は、神様とイエス様との信仰だ。
    「叔母ちゃん、アーメンって言える」では、どうも何だかしっくりいかない。
    ここは、親鸞さんに登場願い、
    「叔母ちゃん、南無阿弥陀仏で救われるよ」だろうなぁ。
    今でも、きっと阿弥陀様は、
    布施の人だった節ちゃんのことを我が子のように抱きしめてくれているはずだ。

    もう、節ちゃんは、向こうの人となっている。
    だから、私は、こうして節ちゃんの顔を覗きながら、
    「死」について教えてもらっている。

    今、目の前に、向こうの世界に旅立とうとしている人が居る。
    その自然な姿に、心を打たれながら、私は、感じたことをこうして記すこととした。

    いかに逝くか。それは、とても大事な生涯最後の記録なんだ。
    そして、その記録は、生きとし生ける人、みんなの記録でもあるはずだ。

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