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  • from: クマドンさん

    2019年08月25日 08時22分02秒

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    深い深い意味に気付くと

    小千谷のSさんと、久しぶりに電話で話した。
    元気な82歳だった。
    私とちょうど20歳上だった。
    だから、来週で私は62歳となる。

    お互いに久しぶりを感じない。
    いつも話すことは、ただ今、ここの、本音トークだった。

    Sさんは、毎朝、4時過ぎから田んぼを歩く。
    そして、田んぼの流れる水の音心惹かれる。
    暫し、そのあぜ道で佇み、その音を聴く。
    ただ聴くだけで、心が休まる。無心になる。
    それは、水の音とSさんとが一つになっているからだ。

    水とは何か。この水はどこから来て、どこへ行くのかは、考えない。
    考えないから、きっとその水の音と一つになれる。
    その時、向かい合っているのは、Sさん自身だ。
    来し方・行く末・今の自分。
    何だか、その流れる音としての自分自身を味わっている。

    感ずると言うことは、深く深く味わうということだった。
    そして、言葉では、実は、味わい切れない大いなるものを、
    静かに音を聴きながら、心静かに落ち着きながら、瞑想すると、
    その深い「意味」を味わえたような気持ちになる。

    音なんだな。
    まだ夜が明けないしじまのの中で、
    ぼんやりと闇の霧の中で、
    音が聴こえる。
    微かでも、流れる水の音や、遠くで鳴く鳥の声や、草むらの虫の声。
    稲が風にゆすられる時のあのざわざわは、風を感ずる音だった。
    「音」なんだね。

    それが、今の、二人の共通点。今の二人の立ち位置そのもの。
    そこには、概念も、思想も、権威も、社会的な価値観も存在しない。
    そんなものに固く固く縛られていた季節は、確かにあった。
    しかし、振り返って見たら、そんなものは今は、どこにも存在しない。
    それでも、やっぱりそのことに自らを縛り、自らの立ち位置とする人たちは居る。
    その人たちには、本当の意味での自分自身の立ち位置は無い。
    だから、不安なので、その既成な危うく、変化するものを当てにする。
    私たちは、それを辞めた。

    そこには、私たちが人生で味わいたいと感じている「意味」は存在しないからだ。
    確かに、何かがあるようには見せかけるが、
    それを信じては、騙される。
    その騙されなもの。本当のもの。確かなものに、私たちは還って行った。

    それがSさんにとっては、大自然の音だった。
    私にとっては、信仰だった。
    本当に変わらずに大いなるもの。
    その前に佇むと、独りにさせられるもの。
    そして、深い深い生きるの「意味」に気付かせてくれるもの。
    それ以外は、ただの浮き草。仮の姿。時には、嘘偽りとなる。

    ふたりは、「落ち着いた」と感ずる。
    ふたりは、きっともう「迷わない」と思っている。
    ふたりは、これでいい。これでいかった。と安心している。
    ふたりは、離れていてもその「これでいい」で、一つになっている。
    ふたりは、その一つの中でのふたりなんだと感じている。
    ふたりは、その一つをそれぞれで生きる。

    私は、暁烏敏さんの「歎異抄講義」をやっと読み切った。
    暁烏さんのまさに信仰告白だった。
    今朝は、寝坊した。いや、疲れていたから、起きることをやめにした。
    そして、もう一度この600頁の文庫を読み返そうと、読み始めた。

    絶対に変わらない真実と共に生きる。
    いや、真実だけを信じて生きる。
    ここに落としどころが在り、本当に「落ち着き」「安心」する場所がある。

    Sさんは、田んぼの音にそれを見つけ、
    私は、クリスチャンとしての信仰にそれを見つけた。

    Sさんは、「82歳になって、これに気付けていかったて」と、笑う。
    私も、「62歳で、このことに気付けて幸せでした」と語る。
    そのふたりの喜びや安心は、言葉では説明できない。
    「それ」を深く深く感じて、味わい、感謝している人にだけ、
    通ずる感覚だ。

    ふたりは、いつも、こんな話を1時間余りしている。これも幸せ。

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