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  • from: クマドンさん

    2019年08月26日 05時56分01秒

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    人が安心して死ねるために

    節ちゃんは、とうとう呼びかけに何も反応しなくなってしまった。
    ただ、ただ、うっすらと目を開けて、すやすやと眠るだけだ。
    母もそうだった。
    前日まで、呼びかけに声で応えていた母が、
    その日から、全く反応をしなくなった。
    呼びかけに顔を向けることもなく、
    いくら呼んでも、天井をじっと見つめるばかりだった。

    何を考えているんだろうと、いつも想像した。
    誰かと会っているのかな。
    どこへ行っているのかなぁ。
    そんな想いがいつも母や節ちゃんを見ると浮かんで来た。

    「ああ、とうとうこの日が来たな」だ。
    母は、そのまま意識を戻すことなく、自然に息を引き取った。
    私は、その時、認知症もいいものだと、考えていた。
    母には、死に向かう恐怖はなかったと思う。
    亡くなった山小屋の森田さんの言葉には、
    青い光が見えると書かれてあった。
    森田さんは、その光をまざまざと観た。
    そして、その光に包まれて、幸福な気持ちを味わったことだろう。

    死は、死ぬ人たちには存在しないのかもしれない。
    生きている私にははかり知ることのできない歓喜が、
    その臨終を迎えている母や森田さんには感じられたのではないだろうか。
    私は、母や父の死に際に立ち会って、そのことをいつも感じた。
    苦痛は無く。苦悩はなく。生きて来たあれやこれやを懐かしく思い出す。
    その一つ一つに意味があったことを悟り、
    「これでよかった」と、成仏する。

    死とは、生の完成の瞬間ではないのだろうか。
    「よくがんばった。もう、いい。ゆっくりと休みなさい」の神様からのよびかけ。
    それは、信仰があっても、信仰が無くても同じこと。
    しかし、生前に人間としてどんな生き方をして来たかは、
    きっとその場で露わになるはず。
    どんなに隠そうとしても、どんなに誤魔化そうとしても、
    その隠された悪は、その瞬間全て明らかに露わにされる。

    人に意地悪ばかりしてきた人。
    人の悪口ばかり言い続けた人。
    人を陥れるために嘘や陰口を言っていた人。
    人のことを誹謗中傷して傷つけて来た人。

    今、私は、こうした人間に出会って、試練と思案の中にあるが、
    私が、とやかく言わずとも、この人たちも皆死ぬ時には、全てのことが露わになる。
    そう考えると「まぁ、いいか」と、何だかこんな人たちのことがどうでもよくなる。

    まぁ、自分にも大きな罪はある。
    それでも、いや、それだから、神様によって救われた。
    それが、私の信仰である。
    生きている間に、この信仰に気付き、その信仰を与えられたことを感謝している。
    実は、この信仰がある人は、死に対する恐怖は少なくなる。
    全く無いと言いたいところだが、まだまだ修行の身だ。

    しかし、母も節ちゃんも、人として、目立たぬ、平凡な、無名な人として、
    それぞれの人生を真っ直ぐにやり切った生涯の人だった。
    私は、母にも節ちゃんにも「ありがとう」と心から言える。
    では、私は、そうやって臨終の時、
    こんな私に対して「ありがとう」と言ってくれる人がいるのだろうか。

    「人は、棺桶の蓋だ」と、昔の人は言っていた。
    その人が死んだ後で、その人を知る家族や親戚や友人や近所の人たちは、
    その人について何を語るかだ。

    「ああ、惜しい人を亡くしたね」か、
    「あんな嫌な奴、居なくなってせいせいした」かだな。
    その声を、死者は、棺桶の蓋の向こうで聴いている。
    死んでから、悔いの残る生き方はしたくないなぁと、私は思う。
    だから、メメント・モリ=死を想え なんだな。

    人の師に出会うと、考えるのは自分自身の生であり、生き方だった。
    通夜の席で故人とのお別れをする。
    故人に呼びかけ、語りかけている私がいる。
    そして、今日から、改めて人間として真っ直ぐに生きようと心に誓う。
    まぁ、その誓いの効力は、どれくらいかは、定かではないが・・・。

    母も節ちゃんも、きっと私に「幸せに生きなさい」と、教えてくれた。
    それは、人として「善く生きなさい」というシンプルな教えだった。
    この嘘つきや、人の悪口・陰口、誹謗中傷をして平気な人たちに言いたい。
    あなたもいつか必ず死を迎える。
    その時に悔いが残らないためにも、
    今日からすっぱりとこうした愚かな行為をやめにしませんか。と。

    安心して、死に向かいたいものだ。

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