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  • from: クマドンさん

    2019年08月27日 05時36分48秒

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    子どもの心は傷ついている

    朝焼けの、朝。
    4時に目が覚めて驚いた。
    まだ世の中は暗かった。
    いつのまにか地球の公転はすすんでいたんだ。
    夜の時間が長くなっている。

    ここ最近、雨が降ることが多くなった。
    長雨と言うよりも、「ああ、降ったな」の雨だった。
    そうやって「一雨ごと」に気温が下がり、秋に至る。
    松浜の「ござれや花火」を家族で至近な場所で観た。
    なかなか迫力が在り、素敵な花火大会だった。
    その時、涼しすぎて、寒さを感じた。
    外に居ても、エアコンの風だった。
    その変化をこうして身体で味わい、季節の移ろいを実感する。

    心のことを話す。
    小3で担任の女性教師からパワハラを執拗に受け、
    心の傷となり、その傷がトラウマになってしまった子の話を聴いた。
    なかなか壮絶なことがまだ小3の彼には起こったものだった。
    詳しくは、ここには書かない。
    彼は、そのことで、言葉を失った。自信も失った。休み時間はトイレに隠れた。
    学校に行こうとしても、その怖かった事実が思い出される。
    まさに、その担任の行為が、フラッシュバックする。
    身体が震える。チックも起きた。担任が近づくと、ビクッとする。
    恐ろしかった経験は、身体に沁みこみ、洗い流せなくなってしまう。

    明日から、夏休みが終わり、学校が始まる。
    すると、彼にまたあのフラッシュバックが起こった。
    どうしても不安で、不安で仕方なくなる。
    思うことは、学校での怖かった経験ばかり。
    担任から言葉の暴力を受け、否定され、「呆れられた」と彼は感じた。

    すると、現在は6年生なのに。
    担任はベテランの男性教師に替わっているのに。
    その教師から認められ、とてもとても学習で伸びてきているのに。
    突然、3年前の恐怖が蘇ると、心の不安が増大され、
    今の担任教師も、彼のことを「呆れている」と同化してしまった。
    そんなことは全く無いのだが、そうなってしまった。
    そうなった時、彼にはその間違った認識を打ち消す力は持たなかった。

    母親と一緒に学校にやって来た。
    そして、担任にその気持ちを話した。
    担任は、その苦しさと不安な心を受け止めながら、
    一つ一つ彼の認知のずれを修正を行った。
    じっくりと時間をかけて、彼の話を聴いた。
    そして、担任の「私はこう思う」というメッセージを語った。

    時間にしたら1時間半余りだったそうだ。
    こうして彼とじっくりと時間をかけて向き合うことが、
    今の彼にとっての一番の心の薬だ。
    担任は、根気強く彼の話を引き出し、その話一つ一つに誠実に応対した。
    それは、お互いをリスペクトするかかわりだった。

    きっと女性担任は、みんなと同じ行動ができず、
    教えても教えても理解しない彼のことを、「呆れた」のだろう。
    その彼の傍に立って、大きなため息をついたそうだ。
    そのため息の音で、彼の心ががらがらと崩れて行った。
    「ああ、自分のことを呆れている人がいる」と。

    給食ではとてもとても厳しいルールが彼女によって決められていた。
    そのルールを破ることは、昼休み残って給食を強制される罰となった。
    食べることが遅く、時間に間に合わないことが多い彼は、
    そのルールのターゲットとなってしまった。
    だから、給食の時間がとてもとても怖かった。
    残したら。間に合わなかったら。また、叱られる。
    それで、彼は、ほんのほんの微量だけ、お椀や皿に盛った。
    小3では、いつも午後からお腹を空かして生活していた。

    こんな話を、ある研修で講師から聴いた。

    実は、今、家庭でもこのようなパワハラ。虐待。ネグレクトが行われている。
    愛情深く育てられた子と、いつも孤食で、家には母が居ない。
    父には罵声を浴びせられ、「死んでしまえ」と言われる。殴られる。
    身の回りの世話を全くされず、ゴミ部屋に放置される。
    親が遊びに夢中で、子どもの心を顧みない。
    そうした極限状態に置かれた子どもたちには、ある変化が起こっているというのだ。
    それは、脳そのものの機能的な損失だった。

    自らの命を守るために。生存するために。
    脳が記憶したり、感情をコントロールしたり、考えたりする力を、
    失って行くというのだった。
    日々、家庭に置いてのそうした恐怖体験の連続は、
    きっとその幼い子どもたちの心と身体に大きな変化を与えるはずだ。
    そのことが科学的にも、臨床的にも証明されているとの講義だった。

    今、こうして朝焼けの空を仰ぎながら、
    この世の中の片隅で、親のことが怖くてぶるぶると怯えている子が居る。
    その子のことは、親たちは見えないように隠す。
    だから、その子への救けの手は、なかなか及ばない。
    しかし、その極限状況の中に置かれた子どもたちは、
    知らず知らずの内に、自分自身の人格・精神に傷を受ける。

    子どもこそ、神様から頂いた宝物だ。
    子どもたちは、神様からの預かりものだ。
    大事に、大切に、心を込めて、育てなければならない。
    大人は、そのためにここに生きているはず。

    なのに、子どもの心と身体とを傷つける大人も多い。
    しかし、よくよく見つめると、
    その大人たちも大人たちに傷つけられた子どもたちだ。
    その連鎖。虐待のスパイラルを、どこかで断ち切る。
    それをどうしたらよいのか・・・・。本当にどうしたらよいのか・・・。

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