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from: クマドンさん
2019/09/20 05:40:29
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そういう人たち、こういう人たち。
他者がいるから、私が分かる。
違った人がここに居るから、私が観える。
きっと私は、独りだったら、私と言う人を認知できないのではないか。
そんなことが、ここ数年で、度々起きる。
「どうしてあんなひどいことを言うのだろう」
「どうして人のことを誹謗中傷する人がいるのだろう」
「その人に対して、私は、何をしたわけでもないのに・・・」
そんな思いになることが、あった。
その時、はっと、思うことがある。
私は、そんな人には絶対になりたくないなぁと、いうことだ。
そして、そんな酷いことを絶対にしない人たちを私は知っている。
他人のことを悪く言う人たちに、もはやかかわりになる気は全くなかった。
どうせかかわりをもつのなら、
やっぱり優しい人がいい。
私も、そんな人になりたいと願うからだ。
ある組織でのごたごたに巻き込まれている。
何でこんなことがここで起きているのか。
そんなことは起こるはずの無いことが、次々と起こっている。
それは、自分たちの想いや願いだけを一方的に通したい人がいるためだった。
それまでは、どっぷりとぬるま湯につかり切り、
公私の区別も忘れ、公金や公のきまりを勝手に自己流に解釈をして、
好き勝手にやってきた人たちだった。
自分たちの想い通りにしている内は、まだよかったが、
そこに、外部から全く新たな人がやって来た。
その人のことも、自分たちの力でコントロールしようとした。
しかし、その人は、良識が在り、誠実であり、真っ直ぐに生きている人だ。
だから、その人を見たら、自分た、ちの思惑通りには動かない人だとよく分かる。
そうすると、その人に対する度をその集団は一変させる。
とにかく、その人がここに居られないように苛めにかかる。
あることないことをいろいろな場所や機会で言いふらす。
その新しく来た人のことを、よく知らないが関係する人に、
その人を貶めるような嘘を言いふらす。
すると、その嘘が誠に用になり、いつのまにかその人の評判は堕ちていく。
そして、その人を追い出すために、徹底的に個人攻撃をする。
ありもしないことをねたに、その人を責める。攻撃する。
そのことを機会のある度に繰り返される。繰り返される。執拗に。
外部からは白い目で見られ、
内部の古くから居る人たちからは、集団で批難され、罵倒される。
さてさて、こんな状況では、その人は、自分であり続けることができるだろうか。
その人は、精神的に追い詰められ、疲弊する。
いつもその攻撃の口調が心から去らず、
いつもいつも責められているように感ずる。
心が弱ると、なかなかもちこたえようとする力すら失われる。
思考が進まない。いつも悪い方ばかり考える。
孤立している自分をどうにもできないと感ずる。
その無力感と絶望感とが、心をどんどん弱らせる。
弱らせようとする集団は、そのことをよく知っている。
だから、心理的に個人的な攻撃をさらに激化する。
そして、あちらこちらに怪文書を送り、
自分たちが正義であり、逆に、自分たちが被害者であるかのように文書を書き、
何も事情を知らない人たちに事実とは全く異なる事実を、
意図的にゆがめて伝える。
さて、こうした孤立し、弱り果てたその人を、
いったい私たちはどのようにして、支援し、救い出してやればよいのか。
実際に、こうした悪意に満ちた、心無い人たちの一方的な言動で、
深く深く心を傷つけている人たちは多くいる。
また、自分がそうなりたくないばかりに、
少しの後ろめたさを感じつつも、
この加害者に加担して、その仲間の一人として、苛めに加わる人もいる。
それでは、この集団は、どうしてこのような執拗な攻撃に出て来たのだろうか。
それは、その人によって、自分たちがそれまでやってきた、
隠された悪事の数々を暴かれたくないからだった。
何も心に疚しいものがなければ、
こんな苛めは起こるはずはないのだった。
逆に、新たに自分たちのために派遣されて来たその人を歓迎し、
みんなで力を合わせて、支えて行くはずなのだ。
それができない、この人たちは。
そのどうにもならない我儘な人たちを見るにつけて、
「ああ、私は、あの仲間の1人でなくてよかったなぁ」と、思う。
それまでは、集団の中で静かに、存在感も無く、ただの人として埋没していた私。
その私が、独りそこで立ち上がってしまった。
そして、同じ意志をもった人たちと団結して、
その集団と対峙することになってしまった。
きっと私は、「そうではない」と、思ったからだろう。
私は、私のことを否定し、批難し、誹謗中傷する人を見る。
私は、こうして集団で苛めを行っている人を見る。
すると、私は、分かる。
「ああ、私は、あの人とは違うな」と。
「きっと私は、あの人たちと同じことはできないな」と。
そこで、本当の私を初めて明確に認知するのだった。
しかし、何も私が、真面目で、正義漢で、立派に生きている人だからではない。
その反対だ。
わたしほど、愚かで、どうにもならないいい加減で、罪深い男はいないと、
私は、自分のことをそう思っている。
煩悩であり、ただの凡夫だ。
だから、私は、人のことなんぞ、
恐ろしくてとやかく言うつもりがないだけなんだ。
自分自身のことを深く深く見つめれば、
どうして自分だけが正義で、あついは誹謗中傷されてもいい人なんだと、
私には絶対に、そうは思えないから、やらないだけなんだな。
そうやって、陰口や人の悪口を言っている人を知っている。
こうやって、衆人の中で誹謗中傷を声高に行う人を知っている。
その人たちは、自らを振り返って疚しいところが全くない人なのか。
その「問い」は、こういう人たちを見る時、いつも感ずる。
しょせん煩悩具足。どうにもならない自分で生きている。
そんな私にとっては、このての人たちとは、
これからの余生では絶対にかかわりたくはない。
それだけは、言える。言える。
その人たちの仲間に加わらず、その人たちから孤立させられて、それでもだ。
私は、やっぱり、独りで生きる道を選ぶんだろうなぁと、思う。
そう想える私を、こうした立場に立たされると、改めて認知させられる。-
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